2012年8月17日金曜日

常滑からまずは父子で移住

ツイッターで@nobutomorinoさんの“眼力どアップ”のアイコンを見たことがある方は結構いらっしゃるのでは。
森野信人(脱原発2+沢山票)さんは現在フォロワー数13672人。
 
ちょっと只者ではない印象があります。
 
このところはバリへの移住を考えている人へのいろいろな情報提供をツイートされていて、7月には日本国内で移住を考えている方を集め会合を開催。
森野信人さんというのはアカウント名、本当は今野信之さん。
ツイッター名は家族の名前nobu,tomo,rinoを羅列したらこの名前になったらしい。
 
一体どんな方なのでしょう?
 
1
 
今野さんは、昨年12月にバリへ移住。
11月に一度下見に。12月からはビジネスマルチビザとソーシャルビザで2ヶ月に一度帰国しながらバリでの暮らしを続けています。来た当初はお子さん(現在小学校3年生)の学校をまず決め、 それから通学に便利な場所として今の住まいを年間契約。学校は欧米人の子供の比率が高いインターナショナル系私立で、ジンバランエリアに。住まいは知り合いの紹介にてそこからは比較的近くのヌサドゥアエリアに。
この学校、新しくきれいで環境も設備が整っているのでバリでは皆が行きたがる学校なのですが、何しろ場所が不便。実際にはまずは住まいが定まってから学校を考える人が多いので、いいなぁ、と思いながら諦められる人が多いような気がします。
「海外で暮らすのだから早いうちから英語環境の中に放り込んだ方がいいかと。僕自身の経験から語学は後からだと苦労すると思って」
先に学校を決めちゃうのは、確かにやり方のひとつですね。
「原発事故があって、すぐにでも移住を考えました。でも、そのすぐ後に娘がヒップホップの世界大会(World HipHop Champion Ships in Lasvegas)に出場することが決まった。妻は陶芸家なんですが、偶然こちらも国際的なコンペでグランプリを受賞。こんな事が重なって、国外への移住が遅れました」
 
「何度も、何度も、家族で話し合い、まずは僕と娘だけ先に来る事に。妻も一連の個展、展覧会が落ち着く今年10月からバリへ来ます」
ヒップホップの国内予選は原発事故後間もない昨年3月26日、東京で開催されました。しかし今野さんは被曝を恐れ迷いに迷いつつも出場を決めた。
 
「世界への切符をかけ一年間やってきたわけですから。この判断が良かったのか悪かったのか、今でも頭の中が錯綜状態になります。しかしその結果、世界大会に出場できた。娘と私達家族にとって素晴らしい経験であり宝物でもありました」
 
2
 
今野さん一家はとても多彩。
まずはお子さん。
「3歳ちょっと前から大人たちに混ざってヒップホップを習わせました。最終的には世界的に実績があり尊敬できる先生に、と、住まいから2時間かけて通ってました」
 
それが、世界大会出場につながった。バリへ来てからは今年7月に行われたインドネシア国内の大会『i-ONE 2012 』で大人たちをしのいで何とフリーダンスバトル部門で優勝。若干8歳の女の子にして、これは相当な実力です。インドネシア勢もさぞかし驚いた事でしょう。
奥様の今野朋子さんは、陶芸家。
もともとは器(=食器用)をつくられていたそうですが、出産後に「これからは作りたいものだけを作る」と決めて芸術性の高い作品作りを始められたそうです。
「 僕が子守を引き受けたりするくらい(笑)、意欲的なんです。僕も一時一緒にやっていましたが、その後は企画やプロジェクトのマネージメント、設備的な部分(焼成窯を独自につくるなど)で支援する立場に(※)」
 

 
奥様が陶芸家とおっしゃるのはあくまでも焼き物という手法だから。
ジョージア・オキーフを想像するような植物のようなディテールの作品は陶という括りをとっくに飛び出していて、圧巻のオブジェです。
つくり込むほどに作風が次第に細かく奥深くなっていった印象があります。すごい、すごい。
こうしたご家族に囲まれて、今野さんご自身は?
 
 
 
3
 
もともと横浜出身で秋田育ち。高校時代はモトクロスレーサーを目指す。
89年から香港に。
香港中文大学で北京語を取得、生活しながら広東語も覚える。現地の会社で働いたのち、建設重機リースの代理店と施工会社を立ち上げて独立。
 
仕事の合間にもともと感心があった経絡も覚え(日本から出張でやってくる人たちと一緒にほぼ毎日施術を受けていたそうです!)、後々自分が施術する立場に。
 
「香港での体験はとても貴重なでした。私の基礎とも言える事」
 
時代的にデジタルカメラやインターネットが現れた頃でもあり、好奇心旺盛な今野さんはデジカメでの写真の仕事や、まだ当時はほんの一部にしかなかった現地発信型コミュニティサイトを立ち上げ、中国返還を前にした香港の情報を発信したり。
「当時はそうしたことが何でも収入になっていましたね」
しかし97年に香港が中国に返還される折、先は景気も悪くなるだろうと踏んで香港を離れヨーロッパへ行こうと。
 
朋子さんとは92年に結婚。朋子さんは香港で陶芸を始めたそうですが、日本の陶芸についてまだ知らないということで夫婦はまずは日本国内で体現したい、と、いったん帰国。そして、縁あって愛知県常滑市を訪れたのだそうです。
「はじめは妻の単身帰国で半年だけの国内修行のつもりだったのに、フィーリングというか呼ばれたというか不思議なもですね、常滑で暮らすことになりました。以来子供も生まれ12年も」
今野さん、常滑では陶芸に関わる仕事をする傍らで本格的な整体師に。
「香港時代からゆくゆくは人を助ける仕事がしたいと思っていました」
 
骨接ぎになるつもりで日本で柔道整復師専門学校へも行ってみた。しかし結局は先にとある師匠に出会い共感しその整体術を取得したことを自己流に発展させた整体術で開業。
 
「僕の整体はヒーリングではなくもっと直接的で筋肉に直接アプローチするような手法。定義のテクニックに頼らない基本第一主義の整体です」
建築関係から整体師に、というのは何となく真逆のような印象もあるのですが?
原理的には建築も整体(=カラダ)はまったく同じだと思うんです。治すにしても造るにしても骨格と他の部材、カラダでいうと筋肉や血流や血行がしっかりしていなければならない。それがすごく大事で必要なのだけど、付随しているものが悪くなると次第に全体がダウンしていく。良くするためにどうしたらいいかを考える上で、この二つは同じ。僕たち施術者は治すのではなく、体のボタンを自然治癒力が元に戻り最も効率よく働くようにそっと後ろから背中を押してあげるだけ」
「モトクロスレーサーを目指していた頃、レース中ジャンプで転倒、背骨を圧迫骨折し半年の重症を負った事があります。それが整体や身体に興味を持ったきっかけになったかな」
建築関係はきっと、もともと得意な技術系の経歴から。しかし香港の会社は現在ほぼオーナー権のみで仕事の一切は現地の香港人に任せているとのこと。今も年に数回香港に行き会社の経営に参加しているそうです。
……割り切りの良さ。これが今野さんの個性のひとつだと思いました。
 
世の中、ひとつ手放せばまたひとつ新しいものが入ってくることをご存知なんですね、きっと。そしてひとつひとつは点ではなく経験+経験+興味本位が次のやりたい事で全部があって今があるという事。
 
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「横浜、秋田、香港はそれぞれ10年前後。だから、12年たってそろそろ他へ動こうかな、という思いもあった。そんな折に原発事故が。娘はまだ当時7歳、だからもう、すぐに移住を考えたんです」
「バリへは香港時代に休暇で何度か夫婦で来た事があって。ここの雰囲気が好きだったので移住先にはすぐにバリ、と思い立ちました」
もちろん、南半球である事もきっと考えの中に入っていた事でしょう。
「一番大事な事はとにかく放射能汚染地から、日本から離れ安全な食を確保する事だと」
事故後はすぐに線量計を購入。ツイッターでも恐らく誰よりも早く原発反対のハッシュタグをつくった。
「ところが、最初は全然反応が無かったですね。一人で11時と23時に呼びかけるように毎日繰り返し叫んでいました」
 
「次第にタグの投稿は増えたけれど、行動に出る人は殆ど無しの状態でした。その時に、これは誰かが先ず行動を起こして例を示さないと、と思った。まずは自分たちが動こう、と。去年から今まで、ずっとこの事(=移住のと被曝から遠ざかる保養の重要性)を訴え続けています」
 
「子供は勿論ですが若年層も被曝したら将来の健康に障害がある。これを分かってて受諾し被曝したら絶対にダメです。すでに気がついている親御さんの精神的な気苦労も、たぶんこれから色々な問題が出てきます。海外で南半球である“安息の地バリ島”で短期でも保養する事がどれ程生き抜くために大事か来て見てとても実感しています
今ではもう各地で影響が出始めている内部被爆。この危険性にも早くに気がつき行動を起こしていました。
今はもう大丈夫、というのは逆。既に備蓄や在庫は底をつき、食品全体が内部被爆の原因になる。産地偽装や給食の問題はもちろん当初からありましたよね。今はさらに怪しいし、危険なんです。でも、今気づいた人でも遅くない。とにかく移住とはこういうもの、バリはこんなところだという事をたくさんの人に知ってもらいたくて、2ヶ月に一度施術の為に帰国する度に説明会を、と。これは希望があれば今後もライフワークとして続けて行きたいです」
この夏、大阪と常滑で開催した“バリ島疎開移住を考える会合”に参加したうち、相当数の方々が夏休みを使ってバリへ来ているらしいという情報も。
「バリへの第一歩で自分が『こんなものがあったらいいなぁ』と実感したものが、ケアハウス。海外自体がはじめての人や、移住先での不安を抱える方々が共同生活または短期宿泊できるホームステイ形式のケアハウスの計画もしています。とりあえず自分たちが今月末から帰国している間、ヌサドゥアの住まいを提供したいと思って今希望者を募っているところ」
これは最近ツイッター上で繰り返しインフォメーションされている件。避難目的の家族限定で安価にて提供予定。
 
5
 
バリへ移住。
 
その際、経済的にやっていけるのかどうか。割り切って考えればバリでは観光業に就職するか自営業を立ち上げるかの、どちらかが主な収入の柱。
一番の近道はお父さんは日本に残って母子だけ送り出すのが、差し当たりベストな選択でしょう。移住より先に就職口を探すような時間の猶予はない。被曝は毎日、毎食すすんでいます」
お父さんが経済的に支援、お母さんは子供を安全な場所でしっかり育てる、という案です。
「とにかく、観光ビザやソーシャルビザの期限内である1-2ヶ月、試しに来てみていただきたいんです。滞在しながら移住について実際的実感し肌で感じ考えてもらえたら」
今野さんの計画はどんどん進んでいきます。
 
香港から常滑へ、そして今度はバリで。
 
建築と整体が同じ原理だと言う今野さんのバリ計画は、きっとそれらと共通するビジョンがあるのでしょう。
これは面白い事になってきました。
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いかがでしたか?
才能豊かな一家が目指しているのは、競争やタイトルのなかでより高い地位ではないのです。
 
一人でも多くの人にちょっとしたきっかけづくりができたら、という願い。
世界で評価されるには日本にいる方がずっと近道だと思われますが、今野さん一家はどうやらそれは二の次に。これから先バリでどのように暮らしていかれるのか、在住者の私としてはすごく興味深く楽しみです。
……余談ですが、昔バリに世界からたくさんのクリエイティブな人たちが集まった時代があります。 もしかしたら、今またそれに似た気風が戻ってきているのかも。あ、でも、きっとそうなのでしょう。何しろきっかけが震災で放射能汚染。誰もが精一杯その事を考え行動起こしたとしたら、囚われのない自由な発想持ち主がバリへと流れ着くのは自然な事かもしれないな、と思います。
 
 
※ → 中部国際空港セントレア一階団体ロビーにある巨大陶壁“渚”は世界的陶芸家吉川正道氏の作品ですが、今野さんがコンペ資料作成から作業工程管理やマネージメント、工事施工監修や最終的には記録撮影や製作記録プロモーションDVDの作成までの全行程を管理されたそうです。
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《お知らせ》
●バリでは最近母子で一時的に避難されて来ている方が増えています。ウブッドにはこうした皆さんの情報源になればと在住者との交流会が開かれています。今のところ不定期ですが頻繁に行われていますので、情報を入手されたい方はご一報ください。
 

2012年4月29日日曜日

移住者の立場で移住者を支援

松浦真弓さんは、昨年12月からバリへ移住されています。

今回は、真弓さんのインタビューをわたしがまとめ、それをもとに真弓さんが書いてくださいました。

以下はわたしが若干の加筆、修正をさせていただいています。

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1 


私は日本では、自然な暮らしを求めるお母さんたちを支援する傍ら、ホメオパス(ヨーロッパ発祥の自然療法士)としても長く活動してきました。

14歳のY、8歳のMとの3人家族。

福一事故前は徳島の山間部に古民家を借り、ウーフホストとして何人ものウーファーさんたちを国内外から受け入れ、お金をかけない手作りの暮らしを楽しんでいました。

ウーフ(Willing Workers On Organic Farms)というのは、お金のやりとりなしで「食事・宿泊」と「労働力」とを交換する世界的なシステムで、有機農場をはじめオーガニックな暮らしを実践している家族(ホストファミリー)と、そのような暮らしから何かを学びたい人々(ウーファー)で成り立っています。

事故当時も北欧からの若者が滞在していました。

説得の末に彼らに帰国してもらい、次いでわが子たちを海外へ逃がす準備を始めました。

北半球であれば居住経験のある国や言葉に不自由しない国もあったのですが、放射能の流れを考えると、南半球へ、と思いました。

しかし、オーストラリアやニュージーランドといった国々は移住の条件が厳しい上、物価が高いのでとても永住権を獲得するまでの期間を凌ぐことはできそうにないと思いました。その他の場所も検討したものの、治安やビザ更新のための国外移動費などから、結局は一度も訪れたことがないバリを選びました。知り合いもまったくといっていいほどいませんでした。


本当なら事故後すぐにでも移動したかったのです。

しかし当時は航空券を買うお金すらなかった。家じゅうの所持品を売るなどして出発直前まで資金を貯めました。

その間に、バリへ渡るにあたっての役立ちそうな情報収集を。

…ですが、バリの情報といえば一般的に観光客がおもな対象だったり、日本人によるものであっても現地の人の目線で書かれたものはほとんど見当たらず(※)、「バリへ行くと決めはしたものの、果たして自分が望むような暮らしが本当にできるのだろうか?」と、不安や迷いは増すばかりでした。
※真弓さんはどこにいても、質素・倹約・省エネルギーといったことを心がけて手作りしていく暮らしをしていたい暮らしをしたいと思っているそうです。


 
こうした不安を最終的に払拭してくれたのは、ウェブ上で見つけたアメリカ人シングルマザーによる小さなコミュニティの存在でした。思い切って、連絡を取りました。

そして到着から1ヶ月の間、竹や土などの自然素材だけで建てた彼女たちの小屋に住まわせてもらうことができたのです。そこで子どもたちと土を練り、家作りを手伝いながら、日本でウーフホストをしていた頃とは逆の立場で暮らしました

この体験により、「バリで自分らしい暮らし方がきっとできるはずだ」、と思い至りました。気の合う仲間がすぐに見つからなくても、自分が最初の1人目になることで、似たような考えの人たちが集まってくるかもしれない、と、思うようになったのです。


2 


 多くのことを外注で済ませてしまう今の日本に違和感を持っています。暮らしのすべてをなるべく自分たちの手で、と、望んできました。それで、日本にいる頃から、子どもたちは学校ではなく家で学ばせる選択をしていました。

子どもとは自ら学ぶ力を持っており、それを育てる上でいちばん大切なのは、大人が手出しをしないことだと考えていました。集団保育や集団教育は最も「手出し」することになるのでは、と。

とりわけ日本の教育は、個性よりも、同列に並ぶことをよしとしています。また、我慢、辛抱といったものを美徳にして、ひとりひとりが思うように生きることを「自分勝手」と諌めるふしがあります。……原発事故後の危険性を理解していても、「自分だけが逃げるわけにはいかない」と言う人は非常に多いですよね。

私自身は多忙な共働きの家庭で育ったため、両親に押さえつけられるような機会がなかったのです。そのせいか、自分のやりたいことは反対に遭ってもやり通すというスタイルが身についている。今回のバリ島への避難についても、反対をしようとする人は周囲にひとりもいませんでした。

人はみな自分が思うように生きてよいのではないでしょうか。子どもに学校給食を食べさせたくないなら、お弁当を持参させてよいのです。そんな基本的な権利に対して許可をもらわなければならないと考えるところからすでにおかしいのではないでしょうか。

実際に、私たちが私の母と同居をしていたわずかな期間、祖母の気持ちを汲み取ってほんの一時、学校に通うことになった息子には自分の判断でお弁当を持たせていました。

学校側はそれを禁ずるようなことはしませんでした。ただ、担任の先生は「ひとりだけみんなと違って、Yくん大丈夫ですか?」、と、心配しました。Yは、わが家で「人はもともとみんな違う」という前提のもとに学んできている息子だったので、お弁当のおかずを喜ぶことはあっても、みんなとの違いを嫌がることは一度もありませんでした。




子どもを産んで育てるというのは、人間を産み育てること。これ以上の社会参加はないと私は考えてきました。

たとえば、子どもにつきっきりの時期はゴミ拾いの活動には参加できないけれども、ゴミを捨てない子、ゴミを拾う子に育てることができれば、それが素晴らしい社会参加になるはずだと。

「育児だけしていたら社会に取り残される」というお母さんたちの焦る声をよそに、「子どもを育てることこそが最大の社会参加よ!」と思ってやってきた私ですが、こういった考えはバリに来てからもまったく変わっていません。それどころか、仕事は二の次、三の次で家庭や子どもを優先するバリたちには却って安堵と親しみを覚えます。現代の日本でそれをやっていた私は、相当に浮いた存在であったろうと思います。

ひと月ほど、ごく普通のバリ人家庭で間借りをして暮らしていたことがあります。親族がひとつの敷地に集って暮らし、誰の子であっても自然に代わるがわる世話をしたり抱いたりする、コミュニティという言葉がぴったり似合う生活がそこにはありました。

日本では、お金をかけたりルールを設けたりしなければなかなか作り出されなかったコミュニティ…それらは残念なことに私が求めているものではありませんでした。ところがバリに来てみたら、そこらじゅうにまったく違和感が沸かない、本物と思える「コミュニティ」が普通に存在していたのですから、驚きでした。

日本の田舎で暮らしていた頃も、周りの家庭では0~1歳児から保育所に預けてしまい、子どもが近所で遊ぶ姿を見かけることがあまりありませんでした。子どもたちが自然のなかで遊ぶのは、管理された体験教室の中だけなのでしょうか。私は子どもたちの暮らしそのものを自然の中に置き、自然に暮らし、自然に学び、自然に遊んでほしいと思っていました。

幸いなことにうちの子供たちは今では、彼らなりに自然との付き合い方を身につけていると思います。言葉の壁も気にせず近所の子どもたちと遊び回っています。

最近ご縁があって週1回のインドネシア語教室に通い始めた彼らは、遊びの中で覚えた単語を駆使し、熟年同級生たちを唸らせたりもしているようです。

それでもやはり(言葉の問題も含めて)日本人のお子さんが周囲にいる環境を意識しながら住まいを探しています。これまでクロボカン→ニュクニン→ボナ→ニュクニンと行き津戻り津しながら、定住にふさわしい場所を探しています。家も土地も実際に住んでみなければわからないことが多いので、根気よく探してみようと思っています。

これは避難されて来ている皆さんにも共通するのではないかと思うのですが、ほんの数日で考えや気持ちが二転三転してしまったりするのです。原発事故というあまりに大きな出来事によって、これまでの生活基盤が覆されてしまったのですから、まったく新しい土地で、どのように生きていくかを簡単に定められないのは当然のことかもしれませんよね。



 

私たちは以前から食べ物にも気を遣ってきていましたが、今、野菜はUBUDの市場にあるオーガニック専門の店で買っています。UBUDには定期的に開かれるオーガニック・マーケットもありますが、やはり市場に比べると値段が高い。今購入している店の野菜は、慣行栽培のものとほとんど値段が変わらないんですよ。

お米や乾物はスーパーで。肉や魚はもともと3人とも食べないので、これだけで大体事が足りています。

先日、ビザを取るためにマレーシアへ行った際、食べるものが気になって調べているうちに、マレーシアがウクライナ産小麦の輸入量を増やしていることを知って青くなり、滞在中は小麦製品を食べるのをやめました。

インドネシアの小麦事情も気になって調べてみたのですが、インドネシアはもともと多い国産小麦のシェアをさらに増やす方向とのことで安心しました。それでもスーパーで売っているものは出所がわからないので、小さな商店で量り売りをしている100%ジャワ産小麦の粉を買っています。価格もたいへん安いのです。

私は「質がよいものはその分高い」という常識を受け入れることに抵抗があり、日本で経営していた自然食品店も畳んでしまったことがあります。よい物が安く買えるような社会にしていかなければと思うのです。高価なオーガニックショップの商品よりも、ローカルのお店にある良質なものを選んで使いたいと考えています。かといって、それほど厳格に選んでいるわけではないんですけどね。でも、こういった自分が大切にしていきたいことというのは、日本にいた頃も今もまったく変わっていませんね。


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少し前から、バリへの避難を希望する人や避難したばかりの人への情報提供を目的に、非公開
ブログを書いています。

私たちの生活体験を記すことによって、バリに来たいと思っている人には「こんなことができるんだ!」ということを知ってほしいし、苦労してやって来た人には、うまく生活が回るよう手助けをしてあげたいと思っているんです。

それと同時進行で計画しているのが、日本に残っている人たちへの食糧支援です。バリ産のオーガニック米をはじめ、安全な食物を日本へ送りたいんです。できれば将来的には自分たちで土地を借りて育てた作物を。今現在バリで作られているものは本来バリにいる人たちが食べるためのものだと思うので、それをお金で買い漁ってしまうのはどうだろうという気持ちがあります。

作物を作る側や送る側にも避難者が関わり、新たな仕事を作り出すことができれば、避難してきた人への支援にもなります。バリへ逃げて来た人たち、日本に残っている人たちの双方が接点を持つことでお互いを支え合うというこのプロジェクトを、ビンタンパリ(南十字星)と名づけて準備を進めているところです。


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いかがでしたか?

バリにはここ1,2か月のあいだに移住されてきている日本の方が増えている印象があります。

移住されてきている方は、皆さんそれぞれ。前から何度かバリへ来たことがある人もいれば、一度も来たことがなかった人もいます。個性のタイプも違えば、日本での暮らしのスタイルもそれぞれ。ここがすっかり気に入って「バリに決めてよかった」という方もいれば、一度来てみて帰られる方もいるとか。皆さんに共通することといえば、「とにかくやってみよう」という気持ちでしょうか。

この先真弓さんの活動は、多くの方のヒントになる気がしています。

2012年4月18日水曜日

藤川修さんの「放射能学習講座」から

2月にインタビューさせていただいた藤川修さんが4月2日、UBUDにあるsisiさんで講座を開かれました。

原発問題をテーマにすることについてインドネシアでは規制があるため、在住者に向けて現在の日本放射能汚染の状況と、気をつけたい点を中心に質疑応答が展開されました。

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まずは福島第一原子力発電所事故のおさらいです。

以下は皆さんもご存知の事が多いかと思いますので、お話しを簡単にまとめました。


●全世界には441基の原発があり、そのうち約8分の1が日本にあります。定期点検によりあと1基を残すのみでほぼ全てが停止していますが、電力は足りていますね?  原発がなくても日本の電気は足りるのです。
●新聞やTVが信用できないのはなぜですか?  構造上政府の上にメディアが、その上に原子力産業があるからです。 インターネットも殆どは信用できませんので、自分で勉強して判断して行くしかありません。
●福島には全部で11基ありますが、福一1~4号基はどれもボロボロ。1、2号基はウラン原料です。3号基はプルサーマルで、ウラン原料にプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使っている。プルサーマルは日本で3基しかないのに、これが事故を起こした事はほんとうに残念でした。
●プルトニウムは本当に怖いものなのに、これが環境に出てしまった。
●4号基は使用済と使用されていない核燃料が保管されている。水を循環させる事で冷やしていないと放射性物質がどんどん出てしまう。これが事故を起こしたら日本のみならず世界にとても大きな事態が起きる。
●これまで漏れたのは1トン。一説ではこれまでに数万人の人が亡くなっている。4号基はその200倍の量が保管されているので、恐らく数千万~数億人に影響が出るでしょう。
●使用済みということで安心されている人もいますが、実際は30年間は崩壊熱を出し続けるのです。その他の原発も停止させても30年間は冷却し続けなければならないんです。


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バリで生活をしている方へのアドバイス


1   花粉について

バリにいても花粉が危険だというのはどうしてですか?
 ●春になって日本では花粉が飛んでいますが、花粉には放射性物質がつきやすい。
●福島で計測された花粉は25万ベクレル/kgという数値。世界基準は100ベクレル/kgです。どれだけ高いか分かりますか?  これが一粒でも肺に入ると8年以内に死亡する可能性が高い。
●観光客の多いバリでは、日本からこの花粉がどこかについて一緒に来ている可能性もあるので決して安心できないです。

2   食べ物について

食品の放射能数値は何の核種を調べているのですか?
●放射能核種にはいろいろなものがあり、それら全てを計測することは困難です。
●セシウムはわりと計測しやすいので、それでセシウムのことばかりが言われているんです。
●食品の線量を測るには分解して専用の機械に入れて1週間かかる。ガイガーカウンターでは通常ガンマ線しか測れません。プルトニウムなどのアルファ線は数ミリしか飛ばないため非常に難しい。
●ですから、日本のスーパーなどで数値を表示していてもあまり意味をなさないと思う。もし数値が出たとしたら、それは相当高いという事です。推測するに、スーパーなどは測りやすいものだけを測って表示しているだけではないでしょうか?
●九州で生活している場合、1日辺り平均30ベクレルの摂取。40才以上は10年以上は変化がなくても、毎日食べていれば必ず影響が出る。子供はその数千倍です。


バリ在住者はどんな注意をしたらよいですか?

●とにかく、もし国内に一時的に戻るのであれば九州産、北海道産を選ぶこと。海産物は避ける事。牛乳、肉、大きな魚は生体濃縮が3万倍などとも言われているので絶対に避けたほうがいいでしょう。
●バリにいても日本のダシを使うのはやめましょう。魚とシイタケは一番危ないので、野菜から出る出汁成分を塩で引き出すような代替えがおすすめです。
●北海道のコンブ、韓国産の海苔、中国産もやめた方がいいです。
●バリでは近海の小さな魚、湖で採れる魚は今のところ大丈夫だと思います。
●また、放射能が入ってしまっている食品は煮ても変わりません。洗えば表面ものは落ちますが中に吸収されているものは変わりません。

3  放射能汚染を防ぐには
放射能を防ぐ、または身体に溜めない方法はありますか?
●日本での生活がすでに長い、すでに汚染されていそうな食品を食べてしまっている、などの事は気にしない事です。精神的にネガティブになる事も健康には影響がありますから。
●それよりも、乳酸菌の摂取をおすすめします。米とぎ汁、大豆の煮汁に塩とヤシ砂糖を加えてつくる乳酸菌、味噌など乳酸菌を含む食品をたくさん摂ることです。身体の中にある毒素を少しでも排出できるように心がけてください。


4  頂き物の食品は
日本からの食品は食べても大丈夫ですか?
●バリにいると、知り合いが持って来てくれたお土産など、自分で買わなくても色々もらう事も多いですね?  しかし、日本からの頂き物は全て食べないことをおすすめします。とくに20才以下は十分気をつけていただきたいです。
●日本の人は子供の事を考えれば少なくとも九州へ、できるだけ海外へ移られること。
●なぜこんな事をいうのかと言うと、チェルノブイリの例があるからです。ベラルーシで汚染地域で生まれる赤ちゃんの99%は26年後の現在でも奇形で死産も多い。外見に異常がない場合でも内臓や脳に異常があるケースも多い。ロシアでは事故から8年で人口が激減しました。推定4000万人が死亡したと言われています。
●今、日本の福一で起きている事はチェルノブイリ以上です。チェルノブイリ以上の影響が出るでしょう。
●このようなことから、どんなに微量でも放射能というのは必ず影響出るし、ご自身でよく考えていただきたいんです。

当日はこの他にも色々な質問が出ました。


前回も書きましたが、放射能について詳しい人ほど「放射能は微量だから大丈夫という事は決してない」と断言しています。バリに来ているから全てが安全というわけではないのです。
それでも国内にいるのとバリにいるのとではどれだけ健康への負担が異なることか。藤川さんのお話しを聞く度に、考えさせられます。

<参考資料>

「オール電化 原発」というふたつのキーワードを入れて検索すると、「オール電化の選択は、原発賛成に一票」という福島事故の二年前に書かれた藤川修さんの文章をご覧頂けます。「たぶんトップに表示されます」とのこと。

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 4月15日。

同じくUBUDのsisiさんにて「新しく移住して来た方と前から住んでいる方との情報交換会」が開かれました。

「新しく来た方」は、来てまだ数日~10日という方々、同じ地域から複数の家族で一緒に来られた方もいました。会場には藤川さんほか、このブログに登場してくださった清水義憲さんも。清水さんは、「最近起きている地震や4号基の温度上昇、がれきの問題などは、今もしまだ日本にいたらもう一度移住を決心しただろう」と。

大飯原発再稼動が先送りになり、5月5日には北海道泊原発が定期点検のため停止になり、これで一旦日本の原発の全てが止まります。図らずもこどもの日。子供たちへ意味のあるこどもの日が迎えられますように。

今回お目にかかった新しい皆さんにも今後インタビューをお願いする予定です。
その前に次回はビンタンパリ(インドネシア語で南十字星)という運動を開始された松浦真弓さんにお話しを伺います。松浦さんは放射能避難でバリへ来た方への情報面での支援と、日本の方々へバリから食品を送る活動を計画中とのこと。

次回もどうぞお楽しみに!

2012年4月6日金曜日

海外移住専門サイト管理者から

秋津大和さんは2004年から海外移住に関するサイトを作成し、現在も、3作目に当たる「海外移住の国選び」というサイトを続けています。

現在は海外在住。

「国名は読者の皆様のご想像にお任せします(笑)」

会社員でありながら単独で資金もすべて個人で賄いながら育ててきたサイトは、福島第一原発の事故以来アクセス数が急増しているそうです。

「このサイトを立ち上げたのは、2004年のスマトラ沖などの大きな地震がきっかけです。専門家によって超巨大地震や原発震災という巨大災害の発生が指摘されている事を知りながら、何もしないで平然と生活するという未必の故意に準ずる。今後も地震の予知はあるんです。多くの人々が自然災害や原発事故によって苦しむ事が明白なのにもかかわらず、知らんぷりすることは少なくとも私にはできなかったのです」

「万一に備えて情報源となればと、このサイトをつくったのですが、最初はほとんどアクセスもブックマークもなくて......。」


秋津さんはこの8年、辛抱強く万一に備えるための情報提供を続けてきたのでした。


サイト管理者に聞く、バリの安全度

海外移住についての情報の蓄積からバリへの移住についてコメントをいただきました。

「まず、55歳以上の方はリタイアメントビザによる長期滞在が可能です。ただ、病気の際の医療などに不安要素がありますね。長期滞在されている中高年以上の年代の多くに、病気の深刻さ如何で帰国を余儀なくされるケースがありますから」

(注)一家での移住、若い世代の移住にはインドネシアでは就労ビザを取得するのが一般的と思われます。詳細はこちら→海外移住情報・インドネシア査証編http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/indonesia.html

「余談ですが、バリは喫煙率が高い。タバコには有害化学物質のほか放射性物資も含まれていることがわかっていますので健康面での配慮が必要だと思います」
【関連記事】 海外移住とラドンの世界地図
http://emigration-atlas.net/environment/radon.html


「バリでは生活面での便利さを求めてはいけないと思います(笑)。逆に言えば、便利を求めなければ、お金もそれほど必要ないかと。人にもよりますが、私はバリの滞在時には、日本人がほとんどいないような安宿に宿泊しています。停電はしょっちゅう。テレビもエアコンもPCも何も無い」

「物質的な豊かさを求める方にはバリはお得かどうかわかりません。でも、バリ人の人間性は素晴らしい。バリ島のウブドの人は初心(ウブ)で純粋。物乞い人でさえ、他人の物を盗る様な事はしない。経済的には豊かではないのかも知れないけれど、心が豊かだという印象がありました」

確かに、移民の多いビーチエリアを除けばひったくりのような被害例もあまり耳にしません。

バリに行くたびに経済的に豊かでも心が貧しい人に包囲されている事に気付く自分がいるのだ、と秋津さん。

「放射能汚染についていえば、過去に全世界で2000回を超える核実験が行われてしまった為、完全に汚染されていないところは残念ながら皆無でしょう。ただ、南半球にあるバリ島は、放射能汚染度が低い地域であると思います」



日本人街、経済特区を提案

海外に永住する為の2大条件は、ビザと雇用です」

「これをクリアする方法は二つあります。ひとつは海外で起業する。もうひとつは日本企業が海外に進出することです。これによってビザと仕事(経済面での保障)が安定し、安心して海外居住ができるようになります」

“海外移住”は原発事故以来、多くの人が少しでも考えたことがありそうな課題です。それが難しいのは、今の仕事が辞めにくい&移住先での仕事探しと保障なのだ、と秋津さん。

「そうなると、いろいろな場所に日本人街を少しずつ増やすことができたらいいのではないか、と。昔の日本人街を考えれば…」

「ただし、今までの個人主義的な個々の移住者には難しいかもしれませんね。皆考え方がそれぞれでまとまりにくい。理想は日本にある地域や会社などのコミュニティ単位での移住」

「ビザの取得が難しい理由の一つは、自国の雇用が外国人に奪われる事による失業率の上昇です。そこで、経済特区のようなところをつくり、経済特区域内でのみ就労を許可するなどの条件付きにすることで、相手国の雇用を奪わない特区のような地域をつくるのが有効だと考えています」

以下はサイトからの抜粋です。

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海外進出で経営者の災害回避と日本人の海外雇用の可能性

- より多くの皆様の海外移住を実現させるために個人ができること -

海外移住の実現のためには、ビザの取得と海外での就職先(収入)の確保が重要です。しかしながら、ビザの取得と就職先の確保は非常に困難を極めるのが現状です。また、永住権の取得に成功しても、失職すれば帰国を余儀なくされます。(永住権取得者も女性が現地男性と婚姻する場合を除き、10年前後で日本に帰国しているという現実があります。)

外国人による移民街がある場合は、就職口の層が厚く、失職しても、すぐに別の職を探すことが容易であるため、帰国しなくても済むケースが多いのですが、日本人の場合は日本人街が無いか、あっても規模が小さく、就職口の層が薄いため、失職により、帰国を余儀なくされるケースが多いというのが現状です。

就職先とビザの問題を解決する方法のひとつとして、企業の海外進出や海外で起業する皆様が増加することにより、日本人の海外での雇用が創出されることで、日本人の海外移住を妨げるネックであるビザの取得と海外での就職先(収入)の確保という困難な問題を解決できる可能性が高くなると同時に経営者の災害回避にも つながります。

日本人移住者が海外で増加することで、日本食レストランなどの外食産業をはじめ、日本人相手のサービスなど、あらゆる関連する仕事が生まれ、日本人の雇用に繋がることで、海外の日本人が増加し、雇用が雇用を生むという好循環が生まれます。
(世界各地には移住者による街がありますが、日本人の移住者が少なく、日本人街は極めて少ないのが現状です。)

サイトのコンセプト(サイトの変遷・サイト開設の経緯)
http://emigration-atlas.net/concept.html

日本人街・経済特区
http://emigration-atlas.net/livelihood/japan-town-special-economic-zone.html

海外移住の方法
http://emigration-atlas.net/livelihood/method.html


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秋津さんの提案は今後の日本人社会の形成への示唆があります。「海外での起業」または「企業の海外移転」は、日本にとどまらず、今後移住を選ぼうと思っている方への大きな貢献にもつながるということを是非覚えておきましょう。

また、現在インドで計画が進んでいる「日本人特区」のようなアイディアを含め、まとまって日本人が居住できるエリアの開発は移住志願の日本人だけではなく現地の経済活性化にもつながると考えられています。「日本人街」のような比較的まとまったコミュニティの発展も今後の大切な課題だと思われます。

「チャイナタウンを例に取れば、何万人かいればコミュニティになり、雇用が雇用を呼ぶ。今の日本人は海外へ出てもコミュニティにならないので仕事がみつからなくなると自国へ帰ってしまう。先ほども言いましたが、ひとりひとりが行くのは個性が強い場合が多いのでコミュニティにはなりにくいです。でも、今回は原発事故をきっかけにというまとまりがある。今までの個人的な移住とは違うので期待が持てる。うまくいくかもしれない


いかがでしたか?

皆さんも是非、このサイトを参考にされてください。

「海外移住の国選び(海外移住の地図帳)」
http://emigration-atlas.net/

2012年3月23日金曜日

二重生活の拠点をバリへ

現在一時帰国していて、今回の「バリ日記」は日本の方にインタビューをさせていただきました。
3月15日、埼玉県川口市在住の菅野沙織さんにお目にかかりました。
沙織さんは現在、日本とバリとの二重生活を計画中です。
昨年3月19日から1週間、パッケージ旅行で家族とはじめてのバリへ。
予約をしたのは3月16日頃。出発までは2、3日の急なスケジュールでした。


1 たまたまの予定が偶然の道筋に

もともと3月に家族でどこか海外へという予定でした。
震災が起きたことから両親は行くことができず、会社員のご主人は忙しい最中にも有給休暇を取ることが予定されていた事から同行ができ、4歳の女の子と1歳の男の子との4人での旅になりました。
ご両親は福島県二本松お住まいで、福島第一原発からは55キロほどしか離れておらず成田までの移動が不可能だったことから断念されてしまったのです。
「二本松は幸い津波の影響はなかったんです。でも、ガソリンが買えず、道路も封鎖されていました。当時は分からなかったけれど、放射線風向きマップで赤い部分(線量が最も高い地域)に入っていた区域でもありました」
沙織さんは、事故当時は放射線の影響についてはあまり大きく気にしていたわけではなかったようです。テレビ報道で放射能汚染については「人体にただちに影響はない」と言われていた頃でしたから、それが一般的だったと思われます。

 

沙織さんは自営でオーガニックハーブを原料とする自然派化粧品の開発と商品化をしています。化粧品のブランドを立ち上げたい個人やメーカーのサポートを全面的にお手伝いする仕事で、原料を厳選して化粧品そのものをつくることから、パッケージ、WEBサイトを立ち上げることまでのコンサルを一括して請け負う仕事。現在はお医者さんがつくろうとしているプロダクトに携わっていおり、これまでもナチュラルハウスのオリジナル化粧品など、自然派のなかでも一般に知られている有数のブランディングを手掛けています。

 
3月にバリというディスティネーションを選んだのは、 化粧品の原料を開拓するに当たっての期待をしていたから。

 

これまでもアーユルヴェーダのあるインドや、粘土、オリーブを原料とするトラディショナルなスキンケアがあるモロッコなどに出かけたことがありました。次の旅行は家族で行くという予定だったので 、事故のある前から何となく下調べはしていたのです。バリは、放射能汚染からの避難というよりも仕事のきっかけづくりを考えての選択だったようです。

 
「1週間足らずの旅ではほとんど仕事にはならなかったのですが、バリでソープナッツと呼ばれている興味深い原料のことを知ったり、それなりに情報を得ることはできました。あっという間ではありましたが、今となってはあの時に訪れた事がきっかけでバリとの二重生活を目指すようになったかも」

 
ソープナッツというのは、天然の木の実ながらそれをそのまま洗濯に使えるというもの。バリではエコロジカルな生活を好む外国人の間で知られた存在です。

 
「昨年3月に国外へ出たのはある意味偶然だったわけですが、ずっと後から思い出したのですが、 その少し前からなぜか3月には国外へ出たいという気がすごくしていて。それは仕事のリサーチということより、その頃に日本にいない自分のイメージみたいなものがあったからでした」

 
「結果的に子供たちをその時期に国外へ連れ出すことができた。偶然ではあったけれど、今となっては不思議な偶然だったんです」

 
何か、導かれたような、ということだったのでしょうか。

 
ともかく幸運な選択でした。


 
2  子供の変化に気づいた2度目の旅
再びバリへ向かったのは、昨年7月。
この時はご主人は同行されず、友人母子と。2ヶ月くらい行きたかったけれど、諸事情から1ヶ月に切り詰めての滞在に。

知り合いから聞いたクロボカンにある日本人経営のゲストハウスに滞在。マクロビオティックの専門家でもあるオーナーから時々料理をしてもらったり、1ヶ月の宿泊費は7万円ほどと決して安くはなかったけれど参考になることがたくさんあったそう。

お子さんたちは1週間ほどの間UBUDエリアに出来たばかりの「スターシード」という保育施設に通いましたが、オーストラリア人が経営するシュタイナー教育取り入れた伸び伸びとした保育にとても好感が持てたようです。
「とても良くしていただいて、言語は英語だけでしたけれど貴重な経験になりました。他にも、デンパサール近郊にあるイスラム系小学校を見学しました。こちらは日本語を話せる先生がいて教科に日本語があるとのことでちょっと心強い気がしました」

バリとの二重生活ができたらと思いはじめたのは、仕事の面だけではありませんでした。

3月頃から何となく下のお子さんが下痢気味だったのが、この7月の旅でバリについた途端ピタッと止まってとてもよく食べるように。

 
「バリの水をそのまま舐めたり、土いじりをしたり。来てからもっと下痢になるんじゃないかと思ったのですが、日本では何となく調子が優れなかった子供がすっかり食欲旺盛で元気一杯になる姿を見て、これは、と思いました。目に見えない放射能。野呂美加さんも言っていましたが、30日間くらいでも子供達にとっては保養をさせる事がいかに大切なのかに気づかされました。あんなにあからさまに変わるとは、さすがに驚かされました」
放射能の影響は、本当にただちに健康に影響はないといえるのかどうか。

 
母子たちが1ヶ月滞在した7月、 沙織さんと友人は全身に及ぶようなじんましんに。子供たちも現地の人は比較的刺されずにいる蚊にかなり刺されていて不安も感じたそうです。でも、じんましんのような中から出てくる皮膚症状はバリへ来たばかりの人には時々起きること。日本で気づかないうちに溜まっていたものが解毒作用のように外側へ出てくるものではないかとも考えられます。蚊に刺されやすいことは、バリの風土に慣れてくると比較的落ち着くような印象も。私も住み始めた頃は蚊取り線香を焚きまくりましたが、今は時々思い出したように刺されるけれどローカルの精油を塗ればあっという間に痒みは引きます。 体質が変化してくるまでの一時の辛抱ではないかと思っています。

 
「今後の事を考えると、主人の仕事から一家揃っての移住までは叶わないけれど、母子だけでの二重生活という手段ならできるのではないかと。今年6月頃にまたバリへ行く予定にしているのですが、こうした短期的な行き来の中で1年以内には子供達の学校についても二重生活に相応しい選択肢を決めて行きたいです」

 
「でも、バリは物価も安くないですね。保育所は1ヶ月で3万円くらいと日本並みだし、ある程度経済力のある人じゃないと難しい気もします。それほどお金かけてまで保養しに行きたいかどうかと問えば、殆ど人が実現できないかも、と」

 
沙織さんが今理想としているのは、一時的に短期間でバリで保養したい母子に、比較的安価で滞在できるような情報源が提供されること。

 
一度もバリへ来た事がない人にとっては一時的に使える住居の状況や相場、一体どんな保育施設があってどの程度の費用なのか、お米はどこで買うのがいいか、などなどの生活情報がネット上で配信され、実際にバリで手助けをする人たちがいること。
バリで宿泊施設を経営する日本人が、放射能汚染からの一時的な非難母子をこの先何年も継続して考え配慮に取り組んでくれないかどうか。 これは、外国旅行にあまり馴染みのない人にとってはかなり心強いサポートになるはず。バリに在住する「何か力になりたい」と思っている我々日本人に工夫が求められる課題かと思います。 実際に一家で移住までは遠い道のりと感じている多くの人にも、短期的な保養ならかなり現実味がある方法になるとすれば、もっと多くの人たちに身近な“バリへの避難”になりそうです。

3 放射能以外のストレス気づいて

 
沙織さんは、1回目のバリ滞在にあとに実は和歌山県へ一時的に滞在したと言います。国外への避難は大変だから、国内という方法はどうなのかと実践してみたのです。
「そこで気づいたのは、放射能からの避難ということだけが問題じゃないということでした。放射能は目に見えないし、実際に病気になるかどうか今の時点では分からない。でも、それ以上にストレスになっている事があると気づきました。それは、無関心というか、皆が起きた事故について蓋をしているような空気感。国内での避難はそのストレスからは開放されないんです。海外へ行かなきゃダメなんだと」
実際、幼稚園での給食をためらってお弁当持参希望するような人は100人に一人いるかどうか、という印象だとか。
「私は前から日本にある特有の空気感について違和感を持っていたからかもしれません。これは子供達への放射能汚染問題とは別に自分の中ではっきり認識したこと。今はバリへの往復がいいのだろうと思い至りました」

 
震災から1年。

 
これまでかなり気をつけてきた人も、時間が経つにつれ次第に緊張感が薄れつつあります。 周りの空気感から判断して「もう大丈夫」と思うかどうか。

これは人それぞれなってくる思いますが、事実上何かが収束したという事は少なくともまだありません。空気感に流されないためにも、国外という選択は意味があるのではないでしょうか。

7月に滞在したゲストハウス
http://m.facebook.com/pages/Desa-Biasa/126016100801787?id=126016100801787&refsrc=http%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Fsearch&_rdr
上記のFacebookページに住所があります。
Desa Biasaというゲストハウスで夫人が日本人で日本で20年間マクロビオティックの
レストランをされていた方です。
料金は1泊だと5000円(朝食つき)、一ヶ月だと7万円(自炊)です。


●1週間だけお子さんが通われたスターシードという保育施設の
所在地、1週間の料金、連絡先
UBUDにある保育施設
上記ページの中ほどにスタートシードの情報があります。
正規に通うと週3〜5日で1ヶ月3万〜5万です。

2012年2月25日土曜日

和歌山からの移住

藤川修さんは昨年5月からバリへ移住されています。

奥様の直子さんと現在12歳と1歳になるお子さんたち、一家4人。

「ナチュラル虫よけリキッド 」という商品をバリ島から輸入販売するなど、自営でのお仕事を通して7年前にはじめてバリへ。今回の移住は3回目のバリ(直子さんは5回目)で、輸入業をしていたといっても訪れた回数は少ないのです。

「 7年前。僕らはその頃から日本で原発事故は必ず起こると思っていたので、バリでは土地も探していました。」



1 事故前から決めていた海外移住


99年に結婚された時には既に直子さんと「もし原発事故が起きたらすぐに海外へ移住する」と夫婦で決めていたとか。

「 それで、予定通りといいますか、バリへ来たんです」

和歌山県で暮らしていた一家は、家の玄関に日本の原発所在地の地図を貼っていたほど。真剣でした。

「福島からは600キロも離れているから大丈夫、というのが周囲の認識でしたが、僕らはたった600キロしか離れていない、と思っていました。ガイガーカウンターで線量を測ることもしませんでした。なぜなら、線量が高いと分かった時には遅いと思っていたからです

「3月11日、東北地方で大地震が起きたと知ってすぐにツイッターで情報を探しました。テレビで津波の映像を見る事すらしませんでした。地震、津波の被害よりも原発の事故が起きていないかどうかを少しでも早く知りたかった」

皮肉にも、事故は起きていました。

2日後、3月13日の深夜2時。「これは日本はもうすっかりダメになった(原発事故の規模からして)」と察知。積めるだけ荷物を車に積んで、鹿児島へ。安い温泉宿に落ち着いて3週間過ごす。

その後和歌山へ戻ってお子さんのパスポート準備、後、一月足らずでバリへ。 和歌山のお家は親戚の方にカギを預け避難者の方がいつでも使えるように、と残されて来たそうです。(現在はお姉さんが住んでいるそうです。)

藤川さんがここまで迅速な行動を迷わず取って、事故からたった2ヶ月のうちに暮らしの一切をバリへ移されたきっかけは何だったのでしょう。ましてや事故前から原発事故の危機を考えもしもの事をしっかり決めていた理由は。

池澤夏樹の『楽しい終末』という本を1993年に読んだことがきっかけ。その冒頭、1、2章に書かれていた事を読んで、原発ってこんなに危ういものなんだと。放射能で自分たちの命が脅かされるなんて絶対に嫌だ、と思ったんです。もちろん普通の生活にも放射能はある。でも、自然界のそれと原発やレントゲンなどの人工的なものとは種類とリスクが違うんです」



藤川さんは、独自に様々な勉強を重ねて和歌山では原発事故のリスクと放射能汚染についての講座を開いていたほどでした。その関連で京都大学の今中哲二教授にも会い、チェルノブイリでの影響について報告された本をもらった。

その本(小冊子)からも大きな影響を受けた。
※「チェルノブイリ」を見つめなおす-20年後のメッセージ 今中哲二・原子力資料情報室 編著 (2006年)



2 京大の小出裕章氏からのメッセージ


「小出裕章先生にもその頃、スモールミーティングという非公開な話し合いの場で会いました。僕の活動を、是非続けてください、と大いに励ましてくれました」

「小出先生は、原発は海温め装置だとか、何千億円もかけて原発は安全なんだと一般市民にプロパガンダをすすめていることを当時から強く批判されていましたね。そして、それが全くの間違いであるのに対し、気がついて批判をする人がどれだけ少ない事か。大きなものにはきっと飲み込まれてしまうだろう、それでも僕たちは続けていくしかないんです、っておっしゃった」

「マハトマ・ガンジーも似たような事を言っていますね。 自分がする事によって世の中が変わるかどうかは分からない、でも続けるしかないっていう名言があります」
“大事なのは、行動の結果よりも、行動そのものである。正しいことをしなさい。結果が出るには、あなたの力では足りないかもしれないし、それはあなたの生きている間ではないかもしれない。だからと言って正しい行いをやめてはいけません。あなたの行動によってどんな結果があったかなど、永遠に分からないかもしれません。それでも、何もしなければ、何も産まれないのです。”- マハトマ・ガンジー

藤川さんが小出氏に会ったのは福島第一原発事故のわずか7ヶ月前だったそうです。驚きです。藤川さんはまるで預言者のような、何かご本人のなかでしっかりと認知というか確信されている。私たちにはちょっと真似のできない判断力かもしれません。しかし、見習わなければならない点がたくさんあるのではないかと思います。

「僕は小出先生のような方から比べたら100分の1も影響力がないかもしれないけれど、僕が行動する事で周りの誰かに何かを気づいてもらえるとしたら本当に嬉しい。だから放射能について知りたい人がいたら僕はバリでもいつでもしゃべれる資料をたくさん用意しています」 (バリで既に二回、放射能の講座を開催されています。)



3 徹底的に「日本食品を食べない」事


日本から訪ねてきた知り合いからもらうお土産のお菓子、食品も一切食べない。

おせんべい一枚でも子供にはダメなんだと。

私は実はその辺りの判断が甘くて、これまで頂き物くらいは普通に食べさせていたけれど、それもダメなんですね?

「ダメですね。子供の場合、大人の数千倍から数万倍内部被曝への影響がある。何がなんでも気をつけたいと僕は思ってます」

産地がどこかと問う前に日本からの食べ物は一切ダメと断言する藤川さん。なぜなら、その影響が実際に分かるのは周知の通り5年後、10年後。藤川さんにおいては、安全かどうか分からないものを子供に食べさせる事は一切タブーなのです。チェルノブイリの報告を見れば納得できます。



「チェルノでも事故当時すっごく食品に気をつけていたお母さんたちが緩んだのは1年後、2年後です。つまり、暫くしても何も変わらないから緊張感が溶けてしまう。どんなに緊張していてもそうなってしまうのが自然。結構難しい事です、実際」

震災から間もなく1年。

私たち皆それなりに忘れて緩む頃。

その時が危ないんだと藤川さんは言うのです。

「バリへ来て良かった、と思っています。日本のような便利な暮らしができない事と子供たちの将来が安全かどうかは比較することはできない」


4 サラリーマンを卒業することから


藤川さんは東京出身。

38歳まで東京、その後親戚のいる和歌山へ引っ越して5年だったそうです。

もともとはサラリーマン。

前出の池澤夏樹さんの本に触発されたことと、ほぼすべての企業は環境破壊に繋がっていると気づいたことでサラリーマンを辞める決心をされたそうです。

「最初はHewlett Packardの一次代理店で営業をしてました。成績もよくてHP社長から表彰されたりして、それなりに順調でした。でも、とにかく抜け出そうと。それからも、やっぱりお金が必要だといくつかの外資系(米国、ドイツ)に勤めて辞めてを繰り返し、ようやく自営の仕事に。東京(西荻窪)にて顧客が増え収入が安定したところで一切をまた振り出しに戻す様にして和歌山へ移転しました」

「僕自身、収入的に成り立つかどうかという不安は常にありません。今、バリでは殆ど仕事をしていませんが、今後起業して法律的に認められた上で和歌山でやっていたのと同じような自営の仕事を継続しようと思っています」



藤川さんは、インドネシア政府が発給するビザでここに居住させてもらえる事をとても感謝していると言う。

和歌山では比較的大きな一軒家に住んでいたが、今はUBUD近くの村にある小さな借家。ふた部屋分を借りて一部屋をキッチンに改造、もう一部屋が家族4人の寝室。前の生活と比べたら何て狭いところにいるんだろう、と笑っていましたが、都会のマンション暮らしと比べたら周囲がのんびりしていてなかなか?

ちなみにこちらの家賃はキッチン改造の費用込みで年3500万ルピア約30万円弱。

ビザは最初は観光ビザ。その後ソーシャルビザに切り替えていますが、それでも期限が切れる前には一旦インドネシア国外へ出なければなりません。 藤川さんご本人のみ現在マルチプルビジネスビザを取得。しかし一家全員が同じビザで安定できるようになるためにも、起業登録をする予定だそうです。

お金が足りるかどうかより、自分たちの命が大事。常にそうしてやってきました。それと、雇われて仕事をする事はバリでもNOなんです。やろうと思えばできるけど、自分の大切な時間を売って仕事をするのは嫌だなって。僕たちの大切な人生だから。好きな事をして収入を得たいと思うんです」



人それぞれ生き方は違うと思うけれど、藤川さんの場合少なくとも周りがどうだから、という事からは一切かけ離れている印象があります。それを変わり者と思えばそれまでだけど、今や時代は変わりました。

自分たちの命は自分たちで守る。

もはやサバイバルの時代に突入しているのです。

周りの目を気にする事なく自分が直感する事を信じて行動するのはとても大事なポイントだと思います。


5 バリ以外選択肢も常に考えて


「英語版ウェザーニュースを見ると、 北半球と南半球の空気は比較的混ざりにくいという事が分かります。バリへ移住してきたのはその事も大きな決め手。オーストラリアやニュージーランドは物価も高く、調べると一家全員移住にはビザが難しいと思いました。」

「あと、考えたのは南米です。もしも今僕が原発反対派でそういう活動をしていることがインドネシア政府の目に留まって国外へ追われるようなことになったら、次に行くのは南米だと思っています」

長男のゆうや君は、こんなお父さんの姿を見習って日本にいる時からインドネシア語を、今はスペイン語を勉強しはじめているそうです。

「僕がこんな変わった父親だから。毎日のように怖い話しを子供に聞かせて危機感があり過ぎたと思って。それはかわいそうな事です、確かに。妻からも時々叱られてます(笑)。でも、もしも僕が交通事故とか何かのトラブルに遭って突然いなくなったとしても大丈夫なように、という気持ちもあるんです。たとえ12歳でも世界中で一番まずい問題についてちゃんと知っていてもらった方がいいと」

藤川さんのお話しは、実は現在の金融危機にまで及んでいます。

世界経済はこのままいけば比較的近いうちにショートする。

そうなれば、どんなつつましい暮らしをしていても影響受ける。

「そういう事態になったら、バリの昔ながら物々交換が成り立つような田舎の村へ移転しますね」

自給生活が成り立つところ。バリはそういう視点では今もとてもしっかりとしたコミュニティが残っています。

さて、皆さんはどのように感じられましたか?

藤川さんの危機管理。とてもシビアです。しかしこれを大袈裟とは言えなくなってきているのも確か。時代はすっかり様変わりしています。それを「もうどうせ遅い」とか、「どっちみちダメだから」とは決して思いたくないものです。

藤川さんの言葉の中にこんなものがありました。

「どんなことがあっても生きていられたらいいです」

シビアな人ほど前向きなんだと思いました。


・・・・・・・・・・・・・・・


藤川さん、今回は貴重なお話しを本当にありがとうございました。

なお、藤川さんのブログ(日記)はこちらです。
移住された当初から現在までの日々がつぶさに語られています。
是非見てみてください。

『バリ島日記5 』
バリ島日記5  badi5.web.fc2.com/bali5/bali5.ht…; 

ツイッター
twitter.com/fujikawa_osamu…;

2012年2月8日水曜日

サラリーマンを辞めての移住

Sさんのインタビューは、ご迷惑がありご本人の希望により削除しました。