2012年8月17日金曜日

常滑からまずは父子で移住

ツイッターで@nobutomorinoさんの“眼力どアップ”のアイコンを見たことがある方は結構いらっしゃるのでは。
森野信人(脱原発2+沢山票)さんは現在フォロワー数13672人。
 
ちょっと只者ではない印象があります。
 
このところはバリへの移住を考えている人へのいろいろな情報提供をツイートされていて、7月には日本国内で移住を考えている方を集め会合を開催。
森野信人さんというのはアカウント名、本当は今野信之さん。
ツイッター名は家族の名前nobu,tomo,rinoを羅列したらこの名前になったらしい。
 
一体どんな方なのでしょう?
 
1
 
今野さんは、昨年12月にバリへ移住。
11月に一度下見に。12月からはビジネスマルチビザとソーシャルビザで2ヶ月に一度帰国しながらバリでの暮らしを続けています。来た当初はお子さん(現在小学校3年生)の学校をまず決め、 それから通学に便利な場所として今の住まいを年間契約。学校は欧米人の子供の比率が高いインターナショナル系私立で、ジンバランエリアに。住まいは知り合いの紹介にてそこからは比較的近くのヌサドゥアエリアに。
この学校、新しくきれいで環境も設備が整っているのでバリでは皆が行きたがる学校なのですが、何しろ場所が不便。実際にはまずは住まいが定まってから学校を考える人が多いので、いいなぁ、と思いながら諦められる人が多いような気がします。
「海外で暮らすのだから早いうちから英語環境の中に放り込んだ方がいいかと。僕自身の経験から語学は後からだと苦労すると思って」
先に学校を決めちゃうのは、確かにやり方のひとつですね。
「原発事故があって、すぐにでも移住を考えました。でも、そのすぐ後に娘がヒップホップの世界大会(World HipHop Champion Ships in Lasvegas)に出場することが決まった。妻は陶芸家なんですが、偶然こちらも国際的なコンペでグランプリを受賞。こんな事が重なって、国外への移住が遅れました」
 
「何度も、何度も、家族で話し合い、まずは僕と娘だけ先に来る事に。妻も一連の個展、展覧会が落ち着く今年10月からバリへ来ます」
ヒップホップの国内予選は原発事故後間もない昨年3月26日、東京で開催されました。しかし今野さんは被曝を恐れ迷いに迷いつつも出場を決めた。
 
「世界への切符をかけ一年間やってきたわけですから。この判断が良かったのか悪かったのか、今でも頭の中が錯綜状態になります。しかしその結果、世界大会に出場できた。娘と私達家族にとって素晴らしい経験であり宝物でもありました」
 
2
 
今野さん一家はとても多彩。
まずはお子さん。
「3歳ちょっと前から大人たちに混ざってヒップホップを習わせました。最終的には世界的に実績があり尊敬できる先生に、と、住まいから2時間かけて通ってました」
 
それが、世界大会出場につながった。バリへ来てからは今年7月に行われたインドネシア国内の大会『i-ONE 2012 』で大人たちをしのいで何とフリーダンスバトル部門で優勝。若干8歳の女の子にして、これは相当な実力です。インドネシア勢もさぞかし驚いた事でしょう。
奥様の今野朋子さんは、陶芸家。
もともとは器(=食器用)をつくられていたそうですが、出産後に「これからは作りたいものだけを作る」と決めて芸術性の高い作品作りを始められたそうです。
「 僕が子守を引き受けたりするくらい(笑)、意欲的なんです。僕も一時一緒にやっていましたが、その後は企画やプロジェクトのマネージメント、設備的な部分(焼成窯を独自につくるなど)で支援する立場に(※)」
 

 
奥様が陶芸家とおっしゃるのはあくまでも焼き物という手法だから。
ジョージア・オキーフを想像するような植物のようなディテールの作品は陶という括りをとっくに飛び出していて、圧巻のオブジェです。
つくり込むほどに作風が次第に細かく奥深くなっていった印象があります。すごい、すごい。
こうしたご家族に囲まれて、今野さんご自身は?
 
 
 
3
 
もともと横浜出身で秋田育ち。高校時代はモトクロスレーサーを目指す。
89年から香港に。
香港中文大学で北京語を取得、生活しながら広東語も覚える。現地の会社で働いたのち、建設重機リースの代理店と施工会社を立ち上げて独立。
 
仕事の合間にもともと感心があった経絡も覚え(日本から出張でやってくる人たちと一緒にほぼ毎日施術を受けていたそうです!)、後々自分が施術する立場に。
 
「香港での体験はとても貴重なでした。私の基礎とも言える事」
 
時代的にデジタルカメラやインターネットが現れた頃でもあり、好奇心旺盛な今野さんはデジカメでの写真の仕事や、まだ当時はほんの一部にしかなかった現地発信型コミュニティサイトを立ち上げ、中国返還を前にした香港の情報を発信したり。
「当時はそうしたことが何でも収入になっていましたね」
しかし97年に香港が中国に返還される折、先は景気も悪くなるだろうと踏んで香港を離れヨーロッパへ行こうと。
 
朋子さんとは92年に結婚。朋子さんは香港で陶芸を始めたそうですが、日本の陶芸についてまだ知らないということで夫婦はまずは日本国内で体現したい、と、いったん帰国。そして、縁あって愛知県常滑市を訪れたのだそうです。
「はじめは妻の単身帰国で半年だけの国内修行のつもりだったのに、フィーリングというか呼ばれたというか不思議なもですね、常滑で暮らすことになりました。以来子供も生まれ12年も」
今野さん、常滑では陶芸に関わる仕事をする傍らで本格的な整体師に。
「香港時代からゆくゆくは人を助ける仕事がしたいと思っていました」
 
骨接ぎになるつもりで日本で柔道整復師専門学校へも行ってみた。しかし結局は先にとある師匠に出会い共感しその整体術を取得したことを自己流に発展させた整体術で開業。
 
「僕の整体はヒーリングではなくもっと直接的で筋肉に直接アプローチするような手法。定義のテクニックに頼らない基本第一主義の整体です」
建築関係から整体師に、というのは何となく真逆のような印象もあるのですが?
原理的には建築も整体(=カラダ)はまったく同じだと思うんです。治すにしても造るにしても骨格と他の部材、カラダでいうと筋肉や血流や血行がしっかりしていなければならない。それがすごく大事で必要なのだけど、付随しているものが悪くなると次第に全体がダウンしていく。良くするためにどうしたらいいかを考える上で、この二つは同じ。僕たち施術者は治すのではなく、体のボタンを自然治癒力が元に戻り最も効率よく働くようにそっと後ろから背中を押してあげるだけ」
「モトクロスレーサーを目指していた頃、レース中ジャンプで転倒、背骨を圧迫骨折し半年の重症を負った事があります。それが整体や身体に興味を持ったきっかけになったかな」
建築関係はきっと、もともと得意な技術系の経歴から。しかし香港の会社は現在ほぼオーナー権のみで仕事の一切は現地の香港人に任せているとのこと。今も年に数回香港に行き会社の経営に参加しているそうです。
……割り切りの良さ。これが今野さんの個性のひとつだと思いました。
 
世の中、ひとつ手放せばまたひとつ新しいものが入ってくることをご存知なんですね、きっと。そしてひとつひとつは点ではなく経験+経験+興味本位が次のやりたい事で全部があって今があるという事。
 
4
 
「横浜、秋田、香港はそれぞれ10年前後。だから、12年たってそろそろ他へ動こうかな、という思いもあった。そんな折に原発事故が。娘はまだ当時7歳、だからもう、すぐに移住を考えたんです」
「バリへは香港時代に休暇で何度か夫婦で来た事があって。ここの雰囲気が好きだったので移住先にはすぐにバリ、と思い立ちました」
もちろん、南半球である事もきっと考えの中に入っていた事でしょう。
「一番大事な事はとにかく放射能汚染地から、日本から離れ安全な食を確保する事だと」
事故後はすぐに線量計を購入。ツイッターでも恐らく誰よりも早く原発反対のハッシュタグをつくった。
「ところが、最初は全然反応が無かったですね。一人で11時と23時に呼びかけるように毎日繰り返し叫んでいました」
 
「次第にタグの投稿は増えたけれど、行動に出る人は殆ど無しの状態でした。その時に、これは誰かが先ず行動を起こして例を示さないと、と思った。まずは自分たちが動こう、と。去年から今まで、ずっとこの事(=移住のと被曝から遠ざかる保養の重要性)を訴え続けています」
 
「子供は勿論ですが若年層も被曝したら将来の健康に障害がある。これを分かってて受諾し被曝したら絶対にダメです。すでに気がついている親御さんの精神的な気苦労も、たぶんこれから色々な問題が出てきます。海外で南半球である“安息の地バリ島”で短期でも保養する事がどれ程生き抜くために大事か来て見てとても実感しています
今ではもう各地で影響が出始めている内部被爆。この危険性にも早くに気がつき行動を起こしていました。
今はもう大丈夫、というのは逆。既に備蓄や在庫は底をつき、食品全体が内部被爆の原因になる。産地偽装や給食の問題はもちろん当初からありましたよね。今はさらに怪しいし、危険なんです。でも、今気づいた人でも遅くない。とにかく移住とはこういうもの、バリはこんなところだという事をたくさんの人に知ってもらいたくて、2ヶ月に一度施術の為に帰国する度に説明会を、と。これは希望があれば今後もライフワークとして続けて行きたいです」
この夏、大阪と常滑で開催した“バリ島疎開移住を考える会合”に参加したうち、相当数の方々が夏休みを使ってバリへ来ているらしいという情報も。
「バリへの第一歩で自分が『こんなものがあったらいいなぁ』と実感したものが、ケアハウス。海外自体がはじめての人や、移住先での不安を抱える方々が共同生活または短期宿泊できるホームステイ形式のケアハウスの計画もしています。とりあえず自分たちが今月末から帰国している間、ヌサドゥアの住まいを提供したいと思って今希望者を募っているところ」
これは最近ツイッター上で繰り返しインフォメーションされている件。避難目的の家族限定で安価にて提供予定。
 
5
 
バリへ移住。
 
その際、経済的にやっていけるのかどうか。割り切って考えればバリでは観光業に就職するか自営業を立ち上げるかの、どちらかが主な収入の柱。
一番の近道はお父さんは日本に残って母子だけ送り出すのが、差し当たりベストな選択でしょう。移住より先に就職口を探すような時間の猶予はない。被曝は毎日、毎食すすんでいます」
お父さんが経済的に支援、お母さんは子供を安全な場所でしっかり育てる、という案です。
「とにかく、観光ビザやソーシャルビザの期限内である1-2ヶ月、試しに来てみていただきたいんです。滞在しながら移住について実際的実感し肌で感じ考えてもらえたら」
今野さんの計画はどんどん進んでいきます。
 
香港から常滑へ、そして今度はバリで。
 
建築と整体が同じ原理だと言う今野さんのバリ計画は、きっとそれらと共通するビジョンがあるのでしょう。
これは面白い事になってきました。
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いかがでしたか?
才能豊かな一家が目指しているのは、競争やタイトルのなかでより高い地位ではないのです。
 
一人でも多くの人にちょっとしたきっかけづくりができたら、という願い。
世界で評価されるには日本にいる方がずっと近道だと思われますが、今野さん一家はどうやらそれは二の次に。これから先バリでどのように暮らしていかれるのか、在住者の私としてはすごく興味深く楽しみです。
……余談ですが、昔バリに世界からたくさんのクリエイティブな人たちが集まった時代があります。 もしかしたら、今またそれに似た気風が戻ってきているのかも。あ、でも、きっとそうなのでしょう。何しろきっかけが震災で放射能汚染。誰もが精一杯その事を考え行動起こしたとしたら、囚われのない自由な発想持ち主がバリへと流れ着くのは自然な事かもしれないな、と思います。
 
 
※ → 中部国際空港セントレア一階団体ロビーにある巨大陶壁“渚”は世界的陶芸家吉川正道氏の作品ですが、今野さんがコンペ資料作成から作業工程管理やマネージメント、工事施工監修や最終的には記録撮影や製作記録プロモーションDVDの作成までの全行程を管理されたそうです。
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《お知らせ》
●バリでは最近母子で一時的に避難されて来ている方が増えています。ウブッドにはこうした皆さんの情報源になればと在住者との交流会が開かれています。今のところ不定期ですが頻繁に行われていますので、情報を入手されたい方はご一報ください。