2012年4月29日日曜日

移住者の立場で移住者を支援

松浦真弓さんは、昨年12月からバリへ移住されています。

今回は、真弓さんのインタビューをわたしがまとめ、それをもとに真弓さんが書いてくださいました。

以下はわたしが若干の加筆、修正をさせていただいています。

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私は日本では、自然な暮らしを求めるお母さんたちを支援する傍ら、ホメオパス(ヨーロッパ発祥の自然療法士)としても長く活動してきました。

14歳のY、8歳のMとの3人家族。

福一事故前は徳島の山間部に古民家を借り、ウーフホストとして何人ものウーファーさんたちを国内外から受け入れ、お金をかけない手作りの暮らしを楽しんでいました。

ウーフ(Willing Workers On Organic Farms)というのは、お金のやりとりなしで「食事・宿泊」と「労働力」とを交換する世界的なシステムで、有機農場をはじめオーガニックな暮らしを実践している家族(ホストファミリー)と、そのような暮らしから何かを学びたい人々(ウーファー)で成り立っています。

事故当時も北欧からの若者が滞在していました。

説得の末に彼らに帰国してもらい、次いでわが子たちを海外へ逃がす準備を始めました。

北半球であれば居住経験のある国や言葉に不自由しない国もあったのですが、放射能の流れを考えると、南半球へ、と思いました。

しかし、オーストラリアやニュージーランドといった国々は移住の条件が厳しい上、物価が高いのでとても永住権を獲得するまでの期間を凌ぐことはできそうにないと思いました。その他の場所も検討したものの、治安やビザ更新のための国外移動費などから、結局は一度も訪れたことがないバリを選びました。知り合いもまったくといっていいほどいませんでした。


本当なら事故後すぐにでも移動したかったのです。

しかし当時は航空券を買うお金すらなかった。家じゅうの所持品を売るなどして出発直前まで資金を貯めました。

その間に、バリへ渡るにあたっての役立ちそうな情報収集を。

…ですが、バリの情報といえば一般的に観光客がおもな対象だったり、日本人によるものであっても現地の人の目線で書かれたものはほとんど見当たらず(※)、「バリへ行くと決めはしたものの、果たして自分が望むような暮らしが本当にできるのだろうか?」と、不安や迷いは増すばかりでした。
※真弓さんはどこにいても、質素・倹約・省エネルギーといったことを心がけて手作りしていく暮らしをしていたい暮らしをしたいと思っているそうです。


 
こうした不安を最終的に払拭してくれたのは、ウェブ上で見つけたアメリカ人シングルマザーによる小さなコミュニティの存在でした。思い切って、連絡を取りました。

そして到着から1ヶ月の間、竹や土などの自然素材だけで建てた彼女たちの小屋に住まわせてもらうことができたのです。そこで子どもたちと土を練り、家作りを手伝いながら、日本でウーフホストをしていた頃とは逆の立場で暮らしました

この体験により、「バリで自分らしい暮らし方がきっとできるはずだ」、と思い至りました。気の合う仲間がすぐに見つからなくても、自分が最初の1人目になることで、似たような考えの人たちが集まってくるかもしれない、と、思うようになったのです。


2 


 多くのことを外注で済ませてしまう今の日本に違和感を持っています。暮らしのすべてをなるべく自分たちの手で、と、望んできました。それで、日本にいる頃から、子どもたちは学校ではなく家で学ばせる選択をしていました。

子どもとは自ら学ぶ力を持っており、それを育てる上でいちばん大切なのは、大人が手出しをしないことだと考えていました。集団保育や集団教育は最も「手出し」することになるのでは、と。

とりわけ日本の教育は、個性よりも、同列に並ぶことをよしとしています。また、我慢、辛抱といったものを美徳にして、ひとりひとりが思うように生きることを「自分勝手」と諌めるふしがあります。……原発事故後の危険性を理解していても、「自分だけが逃げるわけにはいかない」と言う人は非常に多いですよね。

私自身は多忙な共働きの家庭で育ったため、両親に押さえつけられるような機会がなかったのです。そのせいか、自分のやりたいことは反対に遭ってもやり通すというスタイルが身についている。今回のバリ島への避難についても、反対をしようとする人は周囲にひとりもいませんでした。

人はみな自分が思うように生きてよいのではないでしょうか。子どもに学校給食を食べさせたくないなら、お弁当を持参させてよいのです。そんな基本的な権利に対して許可をもらわなければならないと考えるところからすでにおかしいのではないでしょうか。

実際に、私たちが私の母と同居をしていたわずかな期間、祖母の気持ちを汲み取ってほんの一時、学校に通うことになった息子には自分の判断でお弁当を持たせていました。

学校側はそれを禁ずるようなことはしませんでした。ただ、担任の先生は「ひとりだけみんなと違って、Yくん大丈夫ですか?」、と、心配しました。Yは、わが家で「人はもともとみんな違う」という前提のもとに学んできている息子だったので、お弁当のおかずを喜ぶことはあっても、みんなとの違いを嫌がることは一度もありませんでした。




子どもを産んで育てるというのは、人間を産み育てること。これ以上の社会参加はないと私は考えてきました。

たとえば、子どもにつきっきりの時期はゴミ拾いの活動には参加できないけれども、ゴミを捨てない子、ゴミを拾う子に育てることができれば、それが素晴らしい社会参加になるはずだと。

「育児だけしていたら社会に取り残される」というお母さんたちの焦る声をよそに、「子どもを育てることこそが最大の社会参加よ!」と思ってやってきた私ですが、こういった考えはバリに来てからもまったく変わっていません。それどころか、仕事は二の次、三の次で家庭や子どもを優先するバリたちには却って安堵と親しみを覚えます。現代の日本でそれをやっていた私は、相当に浮いた存在であったろうと思います。

ひと月ほど、ごく普通のバリ人家庭で間借りをして暮らしていたことがあります。親族がひとつの敷地に集って暮らし、誰の子であっても自然に代わるがわる世話をしたり抱いたりする、コミュニティという言葉がぴったり似合う生活がそこにはありました。

日本では、お金をかけたりルールを設けたりしなければなかなか作り出されなかったコミュニティ…それらは残念なことに私が求めているものではありませんでした。ところがバリに来てみたら、そこらじゅうにまったく違和感が沸かない、本物と思える「コミュニティ」が普通に存在していたのですから、驚きでした。

日本の田舎で暮らしていた頃も、周りの家庭では0~1歳児から保育所に預けてしまい、子どもが近所で遊ぶ姿を見かけることがあまりありませんでした。子どもたちが自然のなかで遊ぶのは、管理された体験教室の中だけなのでしょうか。私は子どもたちの暮らしそのものを自然の中に置き、自然に暮らし、自然に学び、自然に遊んでほしいと思っていました。

幸いなことにうちの子供たちは今では、彼らなりに自然との付き合い方を身につけていると思います。言葉の壁も気にせず近所の子どもたちと遊び回っています。

最近ご縁があって週1回のインドネシア語教室に通い始めた彼らは、遊びの中で覚えた単語を駆使し、熟年同級生たちを唸らせたりもしているようです。

それでもやはり(言葉の問題も含めて)日本人のお子さんが周囲にいる環境を意識しながら住まいを探しています。これまでクロボカン→ニュクニン→ボナ→ニュクニンと行き津戻り津しながら、定住にふさわしい場所を探しています。家も土地も実際に住んでみなければわからないことが多いので、根気よく探してみようと思っています。

これは避難されて来ている皆さんにも共通するのではないかと思うのですが、ほんの数日で考えや気持ちが二転三転してしまったりするのです。原発事故というあまりに大きな出来事によって、これまでの生活基盤が覆されてしまったのですから、まったく新しい土地で、どのように生きていくかを簡単に定められないのは当然のことかもしれませんよね。



 

私たちは以前から食べ物にも気を遣ってきていましたが、今、野菜はUBUDの市場にあるオーガニック専門の店で買っています。UBUDには定期的に開かれるオーガニック・マーケットもありますが、やはり市場に比べると値段が高い。今購入している店の野菜は、慣行栽培のものとほとんど値段が変わらないんですよ。

お米や乾物はスーパーで。肉や魚はもともと3人とも食べないので、これだけで大体事が足りています。

先日、ビザを取るためにマレーシアへ行った際、食べるものが気になって調べているうちに、マレーシアがウクライナ産小麦の輸入量を増やしていることを知って青くなり、滞在中は小麦製品を食べるのをやめました。

インドネシアの小麦事情も気になって調べてみたのですが、インドネシアはもともと多い国産小麦のシェアをさらに増やす方向とのことで安心しました。それでもスーパーで売っているものは出所がわからないので、小さな商店で量り売りをしている100%ジャワ産小麦の粉を買っています。価格もたいへん安いのです。

私は「質がよいものはその分高い」という常識を受け入れることに抵抗があり、日本で経営していた自然食品店も畳んでしまったことがあります。よい物が安く買えるような社会にしていかなければと思うのです。高価なオーガニックショップの商品よりも、ローカルのお店にある良質なものを選んで使いたいと考えています。かといって、それほど厳格に選んでいるわけではないんですけどね。でも、こういった自分が大切にしていきたいことというのは、日本にいた頃も今もまったく変わっていませんね。


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少し前から、バリへの避難を希望する人や避難したばかりの人への情報提供を目的に、非公開
ブログを書いています。

私たちの生活体験を記すことによって、バリに来たいと思っている人には「こんなことができるんだ!」ということを知ってほしいし、苦労してやって来た人には、うまく生活が回るよう手助けをしてあげたいと思っているんです。

それと同時進行で計画しているのが、日本に残っている人たちへの食糧支援です。バリ産のオーガニック米をはじめ、安全な食物を日本へ送りたいんです。できれば将来的には自分たちで土地を借りて育てた作物を。今現在バリで作られているものは本来バリにいる人たちが食べるためのものだと思うので、それをお金で買い漁ってしまうのはどうだろうという気持ちがあります。

作物を作る側や送る側にも避難者が関わり、新たな仕事を作り出すことができれば、避難してきた人への支援にもなります。バリへ逃げて来た人たち、日本に残っている人たちの双方が接点を持つことでお互いを支え合うというこのプロジェクトを、ビンタンパリ(南十字星)と名づけて準備を進めているところです。


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いかがでしたか?

バリにはここ1,2か月のあいだに移住されてきている日本の方が増えている印象があります。

移住されてきている方は、皆さんそれぞれ。前から何度かバリへ来たことがある人もいれば、一度も来たことがなかった人もいます。個性のタイプも違えば、日本での暮らしのスタイルもそれぞれ。ここがすっかり気に入って「バリに決めてよかった」という方もいれば、一度来てみて帰られる方もいるとか。皆さんに共通することといえば、「とにかくやってみよう」という気持ちでしょうか。

この先真弓さんの活動は、多くの方のヒントになる気がしています。

2012年4月18日水曜日

藤川修さんの「放射能学習講座」から

2月にインタビューさせていただいた藤川修さんが4月2日、UBUDにあるsisiさんで講座を開かれました。

原発問題をテーマにすることについてインドネシアでは規制があるため、在住者に向けて現在の日本放射能汚染の状況と、気をつけたい点を中心に質疑応答が展開されました。

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まずは福島第一原子力発電所事故のおさらいです。

以下は皆さんもご存知の事が多いかと思いますので、お話しを簡単にまとめました。


●全世界には441基の原発があり、そのうち約8分の1が日本にあります。定期点検によりあと1基を残すのみでほぼ全てが停止していますが、電力は足りていますね?  原発がなくても日本の電気は足りるのです。
●新聞やTVが信用できないのはなぜですか?  構造上政府の上にメディアが、その上に原子力産業があるからです。 インターネットも殆どは信用できませんので、自分で勉強して判断して行くしかありません。
●福島には全部で11基ありますが、福一1~4号基はどれもボロボロ。1、2号基はウラン原料です。3号基はプルサーマルで、ウラン原料にプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使っている。プルサーマルは日本で3基しかないのに、これが事故を起こした事はほんとうに残念でした。
●プルトニウムは本当に怖いものなのに、これが環境に出てしまった。
●4号基は使用済と使用されていない核燃料が保管されている。水を循環させる事で冷やしていないと放射性物質がどんどん出てしまう。これが事故を起こしたら日本のみならず世界にとても大きな事態が起きる。
●これまで漏れたのは1トン。一説ではこれまでに数万人の人が亡くなっている。4号基はその200倍の量が保管されているので、恐らく数千万~数億人に影響が出るでしょう。
●使用済みということで安心されている人もいますが、実際は30年間は崩壊熱を出し続けるのです。その他の原発も停止させても30年間は冷却し続けなければならないんです。


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バリで生活をしている方へのアドバイス


1   花粉について

バリにいても花粉が危険だというのはどうしてですか?
 ●春になって日本では花粉が飛んでいますが、花粉には放射性物質がつきやすい。
●福島で計測された花粉は25万ベクレル/kgという数値。世界基準は100ベクレル/kgです。どれだけ高いか分かりますか?  これが一粒でも肺に入ると8年以内に死亡する可能性が高い。
●観光客の多いバリでは、日本からこの花粉がどこかについて一緒に来ている可能性もあるので決して安心できないです。

2   食べ物について

食品の放射能数値は何の核種を調べているのですか?
●放射能核種にはいろいろなものがあり、それら全てを計測することは困難です。
●セシウムはわりと計測しやすいので、それでセシウムのことばかりが言われているんです。
●食品の線量を測るには分解して専用の機械に入れて1週間かかる。ガイガーカウンターでは通常ガンマ線しか測れません。プルトニウムなどのアルファ線は数ミリしか飛ばないため非常に難しい。
●ですから、日本のスーパーなどで数値を表示していてもあまり意味をなさないと思う。もし数値が出たとしたら、それは相当高いという事です。推測するに、スーパーなどは測りやすいものだけを測って表示しているだけではないでしょうか?
●九州で生活している場合、1日辺り平均30ベクレルの摂取。40才以上は10年以上は変化がなくても、毎日食べていれば必ず影響が出る。子供はその数千倍です。


バリ在住者はどんな注意をしたらよいですか?

●とにかく、もし国内に一時的に戻るのであれば九州産、北海道産を選ぶこと。海産物は避ける事。牛乳、肉、大きな魚は生体濃縮が3万倍などとも言われているので絶対に避けたほうがいいでしょう。
●バリにいても日本のダシを使うのはやめましょう。魚とシイタケは一番危ないので、野菜から出る出汁成分を塩で引き出すような代替えがおすすめです。
●北海道のコンブ、韓国産の海苔、中国産もやめた方がいいです。
●バリでは近海の小さな魚、湖で採れる魚は今のところ大丈夫だと思います。
●また、放射能が入ってしまっている食品は煮ても変わりません。洗えば表面ものは落ちますが中に吸収されているものは変わりません。

3  放射能汚染を防ぐには
放射能を防ぐ、または身体に溜めない方法はありますか?
●日本での生活がすでに長い、すでに汚染されていそうな食品を食べてしまっている、などの事は気にしない事です。精神的にネガティブになる事も健康には影響がありますから。
●それよりも、乳酸菌の摂取をおすすめします。米とぎ汁、大豆の煮汁に塩とヤシ砂糖を加えてつくる乳酸菌、味噌など乳酸菌を含む食品をたくさん摂ることです。身体の中にある毒素を少しでも排出できるように心がけてください。


4  頂き物の食品は
日本からの食品は食べても大丈夫ですか?
●バリにいると、知り合いが持って来てくれたお土産など、自分で買わなくても色々もらう事も多いですね?  しかし、日本からの頂き物は全て食べないことをおすすめします。とくに20才以下は十分気をつけていただきたいです。
●日本の人は子供の事を考えれば少なくとも九州へ、できるだけ海外へ移られること。
●なぜこんな事をいうのかと言うと、チェルノブイリの例があるからです。ベラルーシで汚染地域で生まれる赤ちゃんの99%は26年後の現在でも奇形で死産も多い。外見に異常がない場合でも内臓や脳に異常があるケースも多い。ロシアでは事故から8年で人口が激減しました。推定4000万人が死亡したと言われています。
●今、日本の福一で起きている事はチェルノブイリ以上です。チェルノブイリ以上の影響が出るでしょう。
●このようなことから、どんなに微量でも放射能というのは必ず影響出るし、ご自身でよく考えていただきたいんです。

当日はこの他にも色々な質問が出ました。


前回も書きましたが、放射能について詳しい人ほど「放射能は微量だから大丈夫という事は決してない」と断言しています。バリに来ているから全てが安全というわけではないのです。
それでも国内にいるのとバリにいるのとではどれだけ健康への負担が異なることか。藤川さんのお話しを聞く度に、考えさせられます。

<参考資料>

「オール電化 原発」というふたつのキーワードを入れて検索すると、「オール電化の選択は、原発賛成に一票」という福島事故の二年前に書かれた藤川修さんの文章をご覧頂けます。「たぶんトップに表示されます」とのこと。

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 4月15日。

同じくUBUDのsisiさんにて「新しく移住して来た方と前から住んでいる方との情報交換会」が開かれました。

「新しく来た方」は、来てまだ数日~10日という方々、同じ地域から複数の家族で一緒に来られた方もいました。会場には藤川さんほか、このブログに登場してくださった清水義憲さんも。清水さんは、「最近起きている地震や4号基の温度上昇、がれきの問題などは、今もしまだ日本にいたらもう一度移住を決心しただろう」と。

大飯原発再稼動が先送りになり、5月5日には北海道泊原発が定期点検のため停止になり、これで一旦日本の原発の全てが止まります。図らずもこどもの日。子供たちへ意味のあるこどもの日が迎えられますように。

今回お目にかかった新しい皆さんにも今後インタビューをお願いする予定です。
その前に次回はビンタンパリ(インドネシア語で南十字星)という運動を開始された松浦真弓さんにお話しを伺います。松浦さんは放射能避難でバリへ来た方への情報面での支援と、日本の方々へバリから食品を送る活動を計画中とのこと。

次回もどうぞお楽しみに!

2012年4月6日金曜日

海外移住専門サイト管理者から

秋津大和さんは2004年から海外移住に関するサイトを作成し、現在も、3作目に当たる「海外移住の国選び」というサイトを続けています。

現在は海外在住。

「国名は読者の皆様のご想像にお任せします(笑)」

会社員でありながら単独で資金もすべて個人で賄いながら育ててきたサイトは、福島第一原発の事故以来アクセス数が急増しているそうです。

「このサイトを立ち上げたのは、2004年のスマトラ沖などの大きな地震がきっかけです。専門家によって超巨大地震や原発震災という巨大災害の発生が指摘されている事を知りながら、何もしないで平然と生活するという未必の故意に準ずる。今後も地震の予知はあるんです。多くの人々が自然災害や原発事故によって苦しむ事が明白なのにもかかわらず、知らんぷりすることは少なくとも私にはできなかったのです」

「万一に備えて情報源となればと、このサイトをつくったのですが、最初はほとんどアクセスもブックマークもなくて......。」


秋津さんはこの8年、辛抱強く万一に備えるための情報提供を続けてきたのでした。


サイト管理者に聞く、バリの安全度

海外移住についての情報の蓄積からバリへの移住についてコメントをいただきました。

「まず、55歳以上の方はリタイアメントビザによる長期滞在が可能です。ただ、病気の際の医療などに不安要素がありますね。長期滞在されている中高年以上の年代の多くに、病気の深刻さ如何で帰国を余儀なくされるケースがありますから」

(注)一家での移住、若い世代の移住にはインドネシアでは就労ビザを取得するのが一般的と思われます。詳細はこちら→海外移住情報・インドネシア査証編http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/indonesia.html

「余談ですが、バリは喫煙率が高い。タバコには有害化学物質のほか放射性物資も含まれていることがわかっていますので健康面での配慮が必要だと思います」
【関連記事】 海外移住とラドンの世界地図
http://emigration-atlas.net/environment/radon.html


「バリでは生活面での便利さを求めてはいけないと思います(笑)。逆に言えば、便利を求めなければ、お金もそれほど必要ないかと。人にもよりますが、私はバリの滞在時には、日本人がほとんどいないような安宿に宿泊しています。停電はしょっちゅう。テレビもエアコンもPCも何も無い」

「物質的な豊かさを求める方にはバリはお得かどうかわかりません。でも、バリ人の人間性は素晴らしい。バリ島のウブドの人は初心(ウブ)で純粋。物乞い人でさえ、他人の物を盗る様な事はしない。経済的には豊かではないのかも知れないけれど、心が豊かだという印象がありました」

確かに、移民の多いビーチエリアを除けばひったくりのような被害例もあまり耳にしません。

バリに行くたびに経済的に豊かでも心が貧しい人に包囲されている事に気付く自分がいるのだ、と秋津さん。

「放射能汚染についていえば、過去に全世界で2000回を超える核実験が行われてしまった為、完全に汚染されていないところは残念ながら皆無でしょう。ただ、南半球にあるバリ島は、放射能汚染度が低い地域であると思います」



日本人街、経済特区を提案

海外に永住する為の2大条件は、ビザと雇用です」

「これをクリアする方法は二つあります。ひとつは海外で起業する。もうひとつは日本企業が海外に進出することです。これによってビザと仕事(経済面での保障)が安定し、安心して海外居住ができるようになります」

“海外移住”は原発事故以来、多くの人が少しでも考えたことがありそうな課題です。それが難しいのは、今の仕事が辞めにくい&移住先での仕事探しと保障なのだ、と秋津さん。

「そうなると、いろいろな場所に日本人街を少しずつ増やすことができたらいいのではないか、と。昔の日本人街を考えれば…」

「ただし、今までの個人主義的な個々の移住者には難しいかもしれませんね。皆考え方がそれぞれでまとまりにくい。理想は日本にある地域や会社などのコミュニティ単位での移住」

「ビザの取得が難しい理由の一つは、自国の雇用が外国人に奪われる事による失業率の上昇です。そこで、経済特区のようなところをつくり、経済特区域内でのみ就労を許可するなどの条件付きにすることで、相手国の雇用を奪わない特区のような地域をつくるのが有効だと考えています」

以下はサイトからの抜粋です。

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海外進出で経営者の災害回避と日本人の海外雇用の可能性

- より多くの皆様の海外移住を実現させるために個人ができること -

海外移住の実現のためには、ビザの取得と海外での就職先(収入)の確保が重要です。しかしながら、ビザの取得と就職先の確保は非常に困難を極めるのが現状です。また、永住権の取得に成功しても、失職すれば帰国を余儀なくされます。(永住権取得者も女性が現地男性と婚姻する場合を除き、10年前後で日本に帰国しているという現実があります。)

外国人による移民街がある場合は、就職口の層が厚く、失職しても、すぐに別の職を探すことが容易であるため、帰国しなくても済むケースが多いのですが、日本人の場合は日本人街が無いか、あっても規模が小さく、就職口の層が薄いため、失職により、帰国を余儀なくされるケースが多いというのが現状です。

就職先とビザの問題を解決する方法のひとつとして、企業の海外進出や海外で起業する皆様が増加することにより、日本人の海外での雇用が創出されることで、日本人の海外移住を妨げるネックであるビザの取得と海外での就職先(収入)の確保という困難な問題を解決できる可能性が高くなると同時に経営者の災害回避にも つながります。

日本人移住者が海外で増加することで、日本食レストランなどの外食産業をはじめ、日本人相手のサービスなど、あらゆる関連する仕事が生まれ、日本人の雇用に繋がることで、海外の日本人が増加し、雇用が雇用を生むという好循環が生まれます。
(世界各地には移住者による街がありますが、日本人の移住者が少なく、日本人街は極めて少ないのが現状です。)

サイトのコンセプト(サイトの変遷・サイト開設の経緯)
http://emigration-atlas.net/concept.html

日本人街・経済特区
http://emigration-atlas.net/livelihood/japan-town-special-economic-zone.html

海外移住の方法
http://emigration-atlas.net/livelihood/method.html


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秋津さんの提案は今後の日本人社会の形成への示唆があります。「海外での起業」または「企業の海外移転」は、日本にとどまらず、今後移住を選ぼうと思っている方への大きな貢献にもつながるということを是非覚えておきましょう。

また、現在インドで計画が進んでいる「日本人特区」のようなアイディアを含め、まとまって日本人が居住できるエリアの開発は移住志願の日本人だけではなく現地の経済活性化にもつながると考えられています。「日本人街」のような比較的まとまったコミュニティの発展も今後の大切な課題だと思われます。

「チャイナタウンを例に取れば、何万人かいればコミュニティになり、雇用が雇用を呼ぶ。今の日本人は海外へ出てもコミュニティにならないので仕事がみつからなくなると自国へ帰ってしまう。先ほども言いましたが、ひとりひとりが行くのは個性が強い場合が多いのでコミュニティにはなりにくいです。でも、今回は原発事故をきっかけにというまとまりがある。今までの個人的な移住とは違うので期待が持てる。うまくいくかもしれない


いかがでしたか?

皆さんも是非、このサイトを参考にされてください。

「海外移住の国選び(海外移住の地図帳)」
http://emigration-atlas.net/