2013年2月3日日曜日

双葉からの避難



先日、UBUDの日本食レストラン「影武者」の佐藤由美さんから急なお知らせがありました。
「双葉町から避難で現在埼玉在住の方が今バリにいらっしゃっています。
皆さんでお話しを聞きませんか?」
メールのあったその日の晩、数名が集まりました。
お話しは、 富澤俊明さん(74)、千里さん(70)夫妻。
参加は、
古谷悟さん(以下Sさん)、藤川修さん(Fさん)、佐藤由美さん(Yさん)、私でした。
たまたまインドネシアの祝日の晩であり、
富澤さん夫妻はその翌朝帰国されるという事情もあり。
それで、本当は参加したかったけれど来られなかった方々への報告に、と
このブログにアップさせていただくことにしました。
でも、個人的にもこのお話しを伺えてヨカッたと思います。
なぜならバリには実際、被災地からの移住の方は割合に少ないのが現状です。
あれからもうじき2年、どう捉えたらよいのだろう、これからどう考えていったらいいんだろう、と
思っていたところだったから。
富澤さん夫妻のお話しは、とっても前向きでステキなお話しなのでした。
心から感謝です。

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富澤さん夫妻は福島第一原発がある双葉町の、
原発からわずか3キロのところにお住まいでした。
結婚後、ご主人の俊明さんのご実家であるこちらに暮らし始めたそうですが、
福一はその頃(昭和38年頃)に着工されたそうです。


「私たちのところは日本チベットと言われるくらいのところですからね、
結局、安全だからといいつつそういうところに(原発を)つくったんですよねぇ」
現在は娘さんのいる埼玉県吉川の借家住まい。
312日、震災翌日の朝、原発に勤めている町の知り合いが携帯電話で情報を流しました。
危ないからすぐ逃げろ、と。一緒に暮らしていた息子からも(職場から)すぐに電話があり、
今から15分以内に出発するから支度しておくように、と」
3キロといえば、爆発物の瓦礫が直接落下する範囲です。
危ない、というのはもちろんメルトダウンのことでした。
「私たち家族は2台の車でまる二日寝ないであちこち逃げ回りました。
眠気と疲れで運転が危うかったのをよく覚えています。
最後の方は、こう、ジグザグにね、本当に無茶苦茶な運転で。
何のために逃げ回っているのだろうって思いながら。
あとはもう何だか頭がおかしくなりそうでした。その後の記憶は今も朧気です。
たまたまうちの車はガソリンをあまり消費しないタイプの車だったからよかったけれど、
ガソリンは買えないし渋滞するしで本当に恐ろしかった。
帰ってからそのストレスで歯がボロボロと欠けました」
「双葉町の人たちはその第一報で最初の水素爆発(一号機)の前に避難出来た人が
多かったです。でも、ヘリで救助された人もいたし、1ヶ月間知らずに居留まった人も
いましてね。隣の飯館村の人は事前に知らされなかった人が多かったようにも思います。
飯館には風向きでいっぱい(放射性物質が)飛んでいったそうで。
そう考えると自分たちは運がよかった、って思いましたね」
富澤俊明さんは双葉町に生まれ育ちました。
結婚後戻った故郷で奥さんの千里さんとともに電気工事、土木工事の自営業を。
会社は高度成長期にウナギ登りの業績を上げたそうです。
定年前後からは何か地元にお役に立てばと、もうかれこれ15年以上町会議員をしていました。
原発が立地する町ということで、支給されていた補助金と自費とで
アメリカ、フランスなどの原発を視察してまわったこともあるそうです
「それで大まかなメカニズムは知っていたんです。どうなったらメルトダウンするか、とか。
津波が来た時、あ、これはメルトダウンするな、とすぐに思いましたよ。
とにかく200キロは逃げないと、ってね。まぁ、そういうわけで逃げ足は早かったんですけどね()
30年以上経つ古い炉は危ないので新しくして欲しい、など、
これまでにも経産省にはいろいろ陳情も出しました。でも、官僚ってダメですね、
日本の場合一番責任感がないのが官僚だなぁ、といつも思わされましたね。
で、この前選挙ありましたよね、で、今度はまた自民党かぁ。
うん、このままいくと日本はギリシャになるんでねか()
「そういう人達が日本の政治と行政をやっている。情けないです、本当に……」
「……正直言って(双葉町には)もう帰れないと思っています」
「こうなったらもう、原発がない国を旅してまわり、
子供たち孫たちがどう暮らしていったらいいかを考えることが、一番前向きなんですよね。
バリへは友達の話しを聞いて是非来てみたいと思いましてね。
海外へも目を向けていくことがこれからの日本人には必要です。
テレビ見てると原発事故のことなんかもう何ともないような事になってますけどね」
「海外を旅するようになって以来、
日本にいる日本人よりずっと日本のことに関心が高いことが分かってきています」
Sさん「 日本にいるとこういう話しがなかなかし辛いと聞きます。でもバリだとごく普通に
原発の話しも政治の話しもできるってことに皆さんビックリされていて、
ありがたいって言われます」
  「……私たちには(原発事故で起きた事を)伝えることしかできないです。
  いかに日本を愛しているか、ってことをせめてこうして海外にいる皆さんと語り合えたら、
  ってね」
  「忘れていく、風化していくことが一番怖い。もうあそこは大丈夫だからって言われることが」
  「それがまたね、(避難生活から被災地へ)帰りたいって人も多いんですよ。
  日本人らしいなぁ、って思うけども」
  「帰っても大丈夫なはずがないんですけどね。何て言うか、復興という言葉がねぇ。
  テレビ見てるともうあそこは何ともないってことになっててねぇ」
Sさん「そういえば、戻りたいという人が戻って、ヨカッタ、みたいなテレビ番組もありましたねぇ」
  「私らは自営業の傍らでダチョウの飼育をしていたんですが、
  それそのまま置いてきてるもんだから、餌をやりに月に2回くらい行くんですよ、
  立ち入り禁止区域内にね、通行証みたいなのがあってそれ見せればスッと入れる。
  100円ショップに売ってるようなビニールのカッパ着て、せいぜい23時間以内。
  作業員の着てる防護服なんて立派なものじゃないですよ、それ脱いでそのまま捨てて来る」
  「どうだか分かりませんが、大人だと3ヶ月くらいで(放射能汚染が)排出されるっていうから」
Sさん「事業補償はどうなってるんですか?」
  「精神的補償というのはありましてね、各個人に10万円です。
 
  その他は細かい細かい書類が必要で、自営業者にはとても叶いません。
  農協のような団体は優遇されていて早速補償されている。
  これはどうも弁護士さんのチカラでね、東電についてるクラスの弁護士さんと
  我々の味方になってくれる弁護士さんとじゃ、全く比にならないんですよ」
  「なぜこんな目に会っている我々が何の補償ももらえないんだろうか? って。
  最初まったく納得いかなかったです。
  ……本当は商工会議所がやらなければいけないことだと思うんですけどね、
  やっぱりチカラがないんですよね」
  「45年間やってきた会社でやっと減価償却が終わった重機なんかが全部ダメになりました。
  除染もね、いくらやっても基準値下がらないですよ
富澤さん夫妻は紆余曲折の末、大切なのは今ここにある状況ではなく、
子供たち、孫たちの未来のためにできることだと思い至ったそうです
それは、海外へ目を向けることだと。
Sさん「海外はほかにどちらへ行かれたんですか?」
  「一番最初はオーストラリアでした。出会った皆さんにとても心配してもらって」
  「こちら(影武者)に来た時もね、メニューの1ページ目に書かれていたことが
  目に留まってお声をかけさせてもらいました。
  でも、お陰で今日は皆さんと会えて、こうしてお話しできて。ほんとうに最高の晩です」
Yさん「あ、そのメニューのは、本当はかなり迷いながら書いてます。
お客さまの中には〝食べて応援〟と考える人もいますでしょ。
そういう方にとっては不愉快になるかも、っていう気持ちもありました。
でもよくよく考えて、やっぱり私は安全な食べ物しか出したくない、って。
だからあえて書くことにしました」 →★
  「いやいや、それ、とっても大事なことですよ、本当に。
  ましてや子供たちのためを思ったら全く同感です。
  こうした話をね、旅した我々が日本へ持ち帰ることが大事だと思ってます」
  「何か、人の心の慰めになる様なことができたら、と思うんですよね。
  世界は皆一緒ですからね、これはもう地球レベルの問題ですからからね」
Sさん「これ他力本願なことかもしれませんが、
一人でも多くの人がそういう理解ができたらいいですよね」
Yさん「私は震災後にすっかり元気がなくて毎日メソメソしていたんですが、
被災地のしかも原発からわずか3キロのところから今日ここへ来てくださって、
こんなに前向きでいらして、却って励まされてしまいました」
  「こんな風にお話しができて本当によかったです。これからは、
  できたらバリとオーストラリアと、あとマレーシアに数ヶ月ずつ暮らすようなことを
  したいですねぇ。子供たち、孫たちにとってこれからの時代は外国語も必要だし、
  是非海外へ出したいと思うんですよ」

 
  「そういう夢を持ってこれからもやっていきますよ」
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富澤さん、お話しをありがとうございました。
海外へ向かう事を大いに楽しみにしつつ、夢を持って、というお言葉が心に残りました。
日本はもうダメだから、という消去法だけで海外へ向かうのは苦難かも知れませんが、
グローバルな体験の為にも、と心得れば同じ方向でも移住は夢のように明るくなるのですね。
福一から3キロ。
事業も財産も失って、それでも夢は捨てません。
富澤さん夫妻の勇気に、 未来を感じます。

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    ちなみに影武者のメニューの1ページ目にあるごあいさつ文はこちらです。
お客様各位
平素よりご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。
たいへん残念なことですが、当店はこの度の東京電力・福島原発の事故の影響を危惧し、
酒類(西日本)以外の日本原産の食材・調味料等を使用しないことに決めました。
食品の安全基準・検査など日本政府の対応には信頼性がまったくないと判断したからです。
この苦渋の決断は、「自分の家族のためにつくるお料理と同様、お客様へのお料理も安全で美味しく、愛をこめて。」という私個人の信念に基づいています。
皆様のご理解をいただきますよう、心からお願い申し上げます。
この悲しく、深刻な事態を憂える気持ちに賛同していただける方は、壁面に設置してある
Sayonara! Nukes日本の原発を停めよう」署名運動にぜひご協力くださいませ。
どうかよろしくお願いいたします。                                               
ご参考までに、現在使用している食品の原産地は、メニューの最後のページに記してあります。それ以外でご質問がある方は、 yumi@dapurbali.com までどうぞ。            店主

1 件のコメント:

  1. 有益なブログ、ありがとうございます。
    本日、Twitterからたまたまこちらのブログを知りました。
    昨年9月に横浜から京都に移住し、自営業をしている13歳の娘が居るシングルマザーです。
    ただの恐れからの移住ではなく、震災後、かなり気をつけたのにも関わらず、親子して下痢になったり、甲状腺が腫れたりして、これからずっととても横浜ではしのいでいけないと感じての一念発起でした。

    実はsisiさんや仕事上でもkunciさん、nananさんと以前から面識がありfacebookフレンドでもあります。
    個人的にもウブドが大好きで、この15年で6回程訪ねたリピーターでもあります。

    近くにもんじゅもありますし、次に日本で原子力関連の被災があれば、とりあえず、土地勘のあるウブドでしのぎたいな…といつも思っています。


    そんなわけで、たかはしさんのこちらでの記事を読ませていただき、いざとなった時に備え、いろいろと参考にさせていただきたいと思っています。
    感謝を伝えたくて、書き込みをさせていただきました。

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