2011年7月26日火曜日

バリへ戻りました

3週間ぶりに、昨日バリへ戻りました。

日本の気温が1週間ずっと低めだったので(ニセコへ行った日には最高気温16度!)、バリの方が暑く感じます。でも、東京が涼しかったのは人の心と身体をいやしたと思います。
7月からの35度がこのまま続いていたら、節電モードで体力が適わなかったでしょう。

東京での2週間はなるべく西からの野菜を探しましたが、スーパーにはレタス以外は北関東産のものがほとんど。クレヨンハウスでは長野産のキュウリなどがやっとあって、でもキュウリ1本が105円。酵素ジュース用に買った四国の梅はたしか1キロ1600円くらいだった。たまごも高かったな~。
水はRO水のサーバーを入れました。

外食をすれば、もうどこの野菜かなんて気遣っていたら何も口に入らないので途中からはもう気遣うことに挫折(というか放棄)。日本で暮らしていたらとっくのとうにそうなっていたでしょう。ある意味仕方の無いことですよね。

洗濯物は室内に干し、窓を開けず、扇風機とエアコンでした。

そんな大げさな、と、自分でも思いましたが(以前にも書きましたが)東京に着いた途端にひどい下痢になり喉がカーッと熱くなってびっくりして以来滞在先である事務所のベランダをデッキブラシで洗い、外気をなるべく避けることになりました。地形的に谷間であり、1階で裏庭に面しているのです。ガイガーカウンターは買わなかったけれど計ってみたかったな、と思います。

内閣府へ一緒に行ってくれたバリ在住のゆうこさんも、帰国した日には喉が熱くなったそうです。ゆうこさんによれば、バリではいつも見えている「葉っぱなどから出ているキラキラしたもの」が東京では見えないんだそうです。私にはバリにいても何も見えないけど、何かが見える人にとってはさらに変化が著しいのでしょう。

住んでいたら違ったかもしれないけれど、たまたま住んでいなかったことで多くのギャップを感じた今回の帰国でした。

「公園へ行っちゃ駄目」「外に出たらあまりものに触っちゃ駄目」「外食のときはコップで出てくる水飲んじゃ駄目」みたいに、ダメダメだらけだったうちの子。

戻った途端、裸足で外に飛び出してさっそくお友達と遊んでました。
日本では、「放射能がなければよかったのにね」って自分で言い聞かせてガマンしてましたから。

最後の1週間は函館へ行きました。北海道ではさらに放射能についての認識がゆるかったように思います。しかし、ニセコにある神仙沼という原生植物の湿地帯へ行ったとき。
ガイドさんが展望台から「あそこに日本海に面したところに原発があります。ここも半径20キロ圏内です」と教えてくれました。

西麻布にあるうちの事務所の近所からは、7月、8月の子供が休みの期間に四国や九州に移転する方が何人かいました。Twitterにも書きましたが、そうした人たちと共通する考えは「3.11は私たちに何かに気づかせるための大きなきっかけになった」ということでした。

気づく、というのは、私たちの5年後10年後のことです。

このままここにいる意味があるかどうか。自分の仕事にとって、子供の育つ場所として、ひとまず東京だったしそれでよかったものが、問われた感じです。

私自身はそういう意味ではバリにいるのでちょっと違いますが東京の事務所はぜひ引っ越したいと考えています。都心である必要は、以前には確かにありました。でも今は違う気がします。東京もだんだん変わってきているからです。

社員の通勤を考えると国立辺りまでしか動けませんが、それでも動きたい。今回はそこまでのことが進まず残念でしたが(他のことも含めあまりたくさんの事が進まなかった今回でした)、次回はたぶん11月に。まずは「しっかりそのことをイメージし続けて」いきたいと思います。

さて。

このブログには、これから時間のあるときにバリからの暮らしの情報などを書き込んでいこうと思います。一時滞在&長期滞在を考えている方に参考になるようなものを、と、考えています。
よろしくお願いいたします。

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